ギヨーム9世_(ポワティエ伯)とは? わかりやすく解説

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ギヨーム9世 (ポワティエ伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 16:12 UTC 版)

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ギヨーム9世
Guillaume IX de Poitiers
ポワティエ伯
在位 1153年 - 1156年

出生 1153年8月17日
フランス王国ノルマンディー
死去 1156年
イングランド王国バークシャーウォーリングフォード城英語版
埋葬 イングランド王国、バークシャー、レディング修道院英語版
家名 プランタジネット家
父親 イングランドヘンリー2世
母親 アリエノール・ダキテーヌ
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ギヨーム9世Guillaume IX de Poitiers, 1153年8月17日 - 1156年)は、ポワティエ伯(在位:1153年 - 1156年)。

イングランドアンジューノルマンディーヘンリー2世と妃でアキテーヌ女公アリエノール・ダキテーヌの長男。異父姉にマリーアリックス、同父母の兄弟姉妹では弟に若ヘンリー王リチャード1世ジェフリージョン、妹にマティルダエレノアジョーンがいる。英語名はウィリアムWilliam)。

生涯

ポワティエの伝統で祖父のアキテーヌ公ギヨーム10世(ポワティエ伯としてはギヨーム8世)に因んで名付けられ、母からポワティエ伯領の相続者に定められた。この時父はイングランド王位をスティーブンから奪取するためノルマンディーの港バルフルールからイングランドへ渡海して不在だったが、奇しくもギヨームの誕生日にイングランド王位継承者だったスティーブンの長男ユースタスが急死している。これにより父がスティーブンの死後にイングランド王位を継承することが確実になった[1]

1154年春にノルマンディーに戻った父と顔を合わせた。同年10月25日のスティーブン死去でイングランドに再渡海した父や母と一緒にイングランドへ渡ったが、2年後の1156年に死去。レディング修道院英語版に葬られた[2]

脚注

  1. ^ 桐生、P91、石井、P218 - P221、ペルヌー、P117 - P119。
  2. ^ 桐生、P94、P98、石井、P222 - P223、ペルヌー、P120、P123 - P124。

参考文献

  • 桐生操『王妃アリエノール・ダキテーヌ -リチャード獅子王の母-新書館、1988年。
  • 石井美樹子『王妃エレアノール ふたつの国の王妃となった女平凡社、1988年。
  • レジーヌ・ペルヌー著、福本秀子訳『王妃アリエノール・ダキテーヌ』パピルス、1996年。
先代:
アンリ/アリエノール
ポワティエ伯
1153年 - 1156年
次代:
アンリ/アリエノール



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