カンティ・ラージャ・ラクシュミー・デビー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 09:30 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動カンティ・ラージャ・ラクシュミー・デビー Kanti Rajya Lakshmi Devi |
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出生 | 1906年7月5日![]() |
死去 | 1973年4月12日![]() |
配偶者 | トリブバン・ビール・ビクラム・シャハ |
子女 | マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャハ ヒマラヤ・プラタープ・ビール・ビクラム・シャハ ほか |
父親 | アルジュン・シング |
母親 | クリシュナヴァティー・デーヴィー |
宗教 | ヒンドゥー教 |
カンティ・ラージャ・ラクシュミー・デビー(Kanti Rajya Lakshmi Devi , 1906年7月5日 - 1973年4月12日)は、ネパール王国の第8代君主トリブバン・ビール・ビクラム・シャハの王妃。
生涯
1906年7月5日、インドのシータープルで誕生した[1]。 彼女はパンジャーブのラージプートの家系である[2]。
1919年3月、ネパール王トリブバン・ビール・ビクラム・シャハとカトマンズのナラヤンヒティ宮殿で結婚した[1]。婚姻に際し、妹のイシュワリー・ラージャ・ラクシュミー・デビーとともに王国の首相チャンドラ・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナの養女となった[2]。
脚注
参考文献
- 佐伯和彦 『世界歴史叢書 ネパール全史』 明石書店、2003年。
関連項目
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