カルロ・フェリーチェ・チラーリオとは? わかりやすく解説

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カルロ・フェリーチェ・チラーリオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/26 02:22 UTC 版)

カルロ・フェリーチェ・チラーリオ
原語名 Carlo Felice Cillario
生誕 (1915-02-07) 1915年2月7日
出身地 アルゼンチン
メンドーサ州 サン・ラファエル
死没 (2007-12-13) 2007年12月13日(92歳没)
イタリア ボローニャ
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者
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カルロ・フェリーチェ・チラーリオ(Carlo Felice Cillario, 1915年2月7日 - 2007年12月13日[1]は、アルゼンチン出身の指揮者

人物・来歴

メンドーサ州サン・ラファエルのイタリア人の両親の家に生まれた。8歳の時に家族でイタリアのボローニャに移住し、ボローニャ音楽院でヴァイオリンを学んだ。ヴァイオリニストとしての将来を嘱望されたが、19歳の時にサッカーに興じていた時に手首を損傷して指揮法を学ぶようになった[2]。1942年にオデッサの歌劇場でジョアキーノ・ロッシーニの《セビリアの理髪師》の公演を指揮して指揮者デビューを飾った。1943年にブカレスト・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、一時的にアルゼンチンに帰国したが、1946年にイタリアに戻ってボローニャ室内管弦楽団を創設。1959年から1964年まで、ミラノ・アンジェリクム協会の音楽監督を務めた。以後、イタリアを中心に欧米各地の歌劇場に客演を繰り返した。2003年に引退。

ボローニャにて没。

  1. ^ [1]
  2. ^ telegraph.co.uk



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