オエル2世 (ブルターニュ公)とは? わかりやすく解説

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オエル2世 (ブルターニュ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 15:11 UTC 版)

オエル2世
Hoël II
ナント伯
コルヌアイユ伯
ブルターニュ公
在位 ナント伯:1054年 - 1084年
コルヌアイユ伯:1058年 - 1084年
ブルターニュ公:1066年 - 1072年

出生 1031年ごろ
死去 1084年4月13日
配偶者 ブルターニュ女公アヴォワーズ
子女 アラン4世
マチュー2世
家名 コルヌアイユ家
父親 コルヌアイユ伯アラン・カニアール
母親 ジュディット・ド・ナント
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オエル2世(Hoël II, 1031年ごろ - 1084年4月13日)は、コルヌアイユ伯(オエル5世、在位:1054年 - 1084年)。また、ブルターニュ女公アヴォワーズと結婚し[1]、妻の権利により1066年にブルターニュ公となった。

生涯

オエル2世はコルヌアイユ伯アラン・カニアールと、ブルターニュ公アラン2世の庶子オエル1世の孫娘ジュディット・ド・ナントの間の息子である[1]。オエル2世は、1156年までブルターニュ公位を継承したコルヌアイユ家の始祖である。

オエル2世は1054年にナント伯となったが、ナント伯位は母方より継承したものであった。1050年までナント伯であったマチュー1世はオエル2世の母ジュディットの唯一の兄弟ブディックの息子であった。父アラン・カニアールは1050年にオエル2世の名においてナント伯領を奪い、1054年まで息子オエル2世の摂政としてナント伯領を保持した。

ブルターニュ公コナン2世は1054年にナント伯領を奪おうとしたが、敗北した。この後、オエル2世は母が死去する1063年まで母の名のもと、ナント伯領を支配した。

ブルターニュ公コナン2世は嗣子なく1066年12月に死去し、ブルターニュ公領はコナン2世の姉妹でオエル2世の妻であるアヴォワーズが継承した。アヴォワーズはブルターニュ女公となり、夫オエル2世は妻の権利によりブルターニュ公となった。

アヴォワーズとオエル2世の生涯についてはほとんど知られていない。しかし、ウィリアム1世からの干渉に対し、東のレンヌ家と西のコルヌアイユ家の婚姻はブルターニュを強固にしたと考えられる。

オエル2世はその統治の間に、ブルトン人貴族らの反乱に何度か直面した。レンヌ伯ジョフロワ・グレノナ(ブルターニュ公アラン3世の庶子でアヴォワーズの異母弟)が反乱を率い、これにイーストアングリア伯ラルフ・ド・ガーダー英語版が加わった[2]。ラルフ・ド・ガーダーは前年の伯爵の反乱で敗北し、イングランドからブルターニュに戻ってきていた。1076年、オエル2世に対し陰謀を企てたラルフはドルで包囲された。ウィリアム1世がオエル1世の支援のためにブルターニュに入り、最終的にオエル2世はラルフと和平を結んだ[3]

子女

オエル2世とアヴォワーズの間に以下の子女が生まれた。

  • アラン4世(1063年頃 - 1119年)[1] - ブルターニュ公
  • マチュー2世(1103年没) - ナント伯(1084年 - 1103年)[4]

脚注

[脚注の使い方]

参考文献

先代
ジュディット
ナント伯
1054年 - 1084年
(1063年までジュディットと共治)
次代
マチュー2世
先代
アラン・カニアール
コルヌアイユ伯
1058年 - 1084年
次代
アラン4世
先代
コナン2世
ブルターニュ
1066年 - 1072年
アヴォワーズと共治)
次代
アラン4世



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