エレン・テスレフとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エレン・テスレフの意味・解説 

エレン・テスレフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/09 16:12 UTC 版)

エレン・テスレフ
Ellen Thesleff
フィレンツェのスタジオのテスレフ(1915)
誕生日 (1869-10-05) 1869年10月5日
出生地 フィンランド、ヘルシンキ
死没年 1954年11月12日(1954-11-12)(85歳)
死没地 フィンランド、ヘルシンキ
テンプレートを表示
エレン・テスレフの木版画「フィレンツェ」(1925)

エレン・テスレフ(Ellen Thesleff、1869年10月5日 - 1954年11月12日)は、フィンランドのモダニズムの画家、版画家である[1][2]

略歴

ヘルシンキで生まれた[3]。父親は技術職の役人であり、アマチュア画家でもあった。父親の仕事の関係で1872年から1884年の間はクオピオで育ち、家族と夏はカッラ湖(Kallavesi)の島(Kumpusaari)の別荘で過ごした。ヘルシンキに家族と戻り、1884年からヘルシンキの学校に入った[1]

父親から最初に絵を学び、父親は娘を展覧会に連れて行き、娘のためにモデルを雇った。1885年からにアドルフ・フォン・ベッカー(1831-1909)が運営するヘルシンキの美術学校で学びはじめ、1887年にフィンランド美術協会の絵画学校で絵の勉強を続けた。学んだ教師の中にはフレドリック・アールシュテット(Fredrik Ahlstedt: 1839-1901)もいた。 1890年から、マグヌス・エンケル(1870-1925)やベーダ・ステアンシャンツ(Beda Stjernschantz: 1867-1910)、ヴァイノ・ブロムシュテット(Väinö Blomstedt: 1871-1947)らの仲間の学生と、グンナル・ベルントソンの美術学校にも通い始めた。1891年のフィンランド芸術家協会の秋季展覧会に初めて作品を出展し、作品は好評で事務局に買い上げられた。

1891年の秋、仲間の画家のAnna Bremer、Jenny Cajander、Sigrid Granfeltとパリに留学し、私立の美術学校、アカデミー・コラロッシに入学し[1]ギュスターヴ・クルトワや、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌウジェーヌ・カリエールに学んだ。パリでは、ルーヴル美術館などの美術館や展覧会を熱心に訪れ、作品を模写して修行した。レオナルド・ダ・ヴィンチやサンドロ・ボッティチェリの作品やエジプト美術にも関心を持った。夜には、北欧からの芸術家が集うカフェの「レジャンス(Régence)」を訪れ、フィンランド人のアレクサンダー・フェデリー(Aleksander Federley)やペッカ・ハロネン、スウェーデン人のファニー・ラストボム(Fanny Låstbom)とゲルダ・アールム(Gerda Ahlm)らと知り合った。

アカデミー・コラロッシで1892年3月まで学んだ後、6月初旬までパリに留まり、マグヌス・エンケルやカール・ウィルヘルムソン(Carl Wilhelmson)とともにブリュッセル、アントウェルペン、リューベックを経由してフィンランドに帰国した。

1894年に初めてイタリアを訪れた。弟のロルフ・テスレフ(Rolf Thesleff: 1878-1938)が外交官になり、1925年から1930年の間ローマ勤務をしたことのあり、その後もしばしば、母親らとイタリアを訪れることになった。何度かフィレンツェも訪れ、イギリスの演出家のエドワード・ゴードン・クレイグと知り合い 、クレイグの演劇雑誌に版画作品が掲載されたこともあった。

1900年のパリ万国博覧会の展覧会に出展し、銅メダルを受賞した。

1909年にマグヌス・エンケルらのフィンランドの前衛的な画家たちと美術家グループ「7人会(septem-ryhmä)」を結成し、1912年からグループ展に出展した。このグループ展は1918年まで展覧会を開いた。

1890年頃から1950年ころに至るまで精力的に作品を描き、初め自然主義的なスタイルから、20世紀に入ると表現主義のスタイルに変わった。

作品

脚注

  1. ^ a b c Ellen Thesleff”. Ateneum. 2015年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月8日閲覧。
  2. ^ Granbacka, Camilla (2015年3月5日). “Ellen Thesleff på Åbo konstmuseum” (Swedish). agens Nyheter. http://www.dn.se/kultur-noje/konstrecensioner/ellen-thesleff-pa-abo-konstmuseum/ 2015年3月8日閲覧。 
  3. ^ Sven-Harrys konstmuseum :: About the exhibition”. www.sven-harrys.se. 2016年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月11日閲覧。

参考文献

  • Bäcksbacka, Leonard (1955). Ellen Thesleff. Helsingfors: Konstsalongens förlag. Libris 2522280
  • Schalin, Monica (2004). Målarpoeten Ellen Thesleff: teknik och konstnärligt uttryck. Åbo: Åbo akademis förlag. Libris 9511709. ISBN 951-765-169-4
  • Ahtola-Moorhouse, Leena, red (1998). Ellen Thesleff. Ateneums publikationer, 1238-4712 ; 7. Helsingfors: Ateneum. Libris 7847528. ISBN 951-53-1741-X



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  エレン・テスレフのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エレン・テスレフ」の関連用語

エレン・テスレフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エレン・テスレフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエレン・テスレフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS