エミーリエ・トランプッシュとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エミーリエ・トランプッシュの意味・解説 

エミーリエ・トランプッシュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/24 00:47 UTC 版)

エミーリエ・トランプッシュ
Emilie Trampusch
生誕 1814年7月29日
オーストリア帝国ジジャール・ナト・サーザヴォウ(Žďár nad Sázavou

エミーリエ・トランプッシュドイツ語: Emilie Trampusch, 1814年7月29日 - 1857年)は、音楽家ヨハン・シュトラウス1世愛人である。

概要

モラヴィア生まれの、仕立屋に勤める孤児だった。ある日ヨハン・シュトラウス1世と知り合い、やがて男女の仲となった。ヨハン1世はエミーリエのもとに入り浸るようになったが、彼にはすでに妻アンナ・シュトレイムがいた。1835年3月15日にアンナは夫との最後の子エドゥアルトを産んでいるが、それから2か月後の5月18日には、エミーリエがヨハン1世との最初の子エミーリエ・テレジア・ヨハンナを産んでいる。これ以降、エミーリエはヨハン1世の私生児を立て続けに産み、合計8人もの子女を儲けた。

ヨハン1世は、ついには妻子をほったらかしてエミーリエと同棲するようになった[1]。それでいて仕事場はアンナたちの暮らす住居と同じ建物にあったため、ヨハン1世は愛人のもとから自宅に通うという奇妙な生活形態となった[1]。またヨハン1世は、演奏旅行の際にはエミーリエを同伴することがあったという。

1849年、子供のひとりが猩紅熱に感染していた[2]。そこに演奏旅行からエミーリエのもとに帰ってきたヨハン1世は、体が弱っていたために感染して死んでしまった[2]。これを見たエミーリエは、家財道具をすべて売り払い、ヨハン1世の遺骸をそのままに家を出てしまったとされる[3]

子女

ヨハン1世との間に8人の子を儲けたが、初めの3人を除いてみな夭折している。

  • エミーリエ・テレジア・ヨハンナ (1835年5月18日 - 1878年) 女優。
  • ヨハン・ヴィルヘルム (1836年5月28日 - 1864年8月30日) 鉄道員。
  • クレメンティナ・エミリア・テレジア・エリーザベト (1837年11月19日 - 1878年) 花屋。
  • カール・ヨーゼフ (1840年7月20日 - 1840年8月11日)
  • ヨーゼフ・モリッツ (1842年1月8日 - 1842年1月18日)
  • マリア・ウィルヘルミナ (1843年4月25日 - 1849年11月4日)
  • テレサ・カロリーナ (1844年9月22日 - 1851年8月2日)
  • ヴィルヘルミーネ (1846年5月26日 - 1846年6月8日)

参考文献・参考サイト

出典

  1. ^ a b 若宮(2012) p.54
  2. ^ a b 小宮(2000) p.64
  3. ^ 小宮(2000) p.65



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エミーリエ・トランプッシュ」の関連用語

エミーリエ・トランプッシュのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エミーリエ・トランプッシュのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエミーリエ・トランプッシュ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS