エミーリエ・スネトラーゲとは? わかりやすく解説

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エミーリエ・スネトラーゲ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/06 03:49 UTC 版)

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エミーリエ・スネトラーゲ
Emilie Snethlage
生誕 1868年4月13日
ドイツ,Gransee
死没 1929年11月25日
ブラジル,ポルト・ヴェーリョ
研究分野 生物学(鳥類学)
研究機関 エミリオ・ゴエルジ・パラー博物館
プロジェクト:人物伝
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エミーリエ・スネトラーゲ(Maria Emilie Snethlage、1868年4月13日1929年11月25日)はドイツ生まれで、ブラジルで働いた博物学者、鳥類学者である。

略歴

プロイセンのクラーツ(現在のグランゼーの一部)で生まれた。牧師である父親から家庭で教育を受け、ガヴァネス(女家庭教師)として働いた後、ベルリン自然史博物館の動物学部門の助手として働いた。博物館の鳥類学者、ライヒェナウ(Anton Reichenow)の推薦で、ブラジルのベレンの自然史博物館(後にMuseu Paraense Emílio Goeldi:エミリオ・ゴエルジ・パラー博物館と改名される)の館長、エミール・ゲルディに研究者として雇われ、ブラジルに渡った。

1914年に"Catálogo das Aves Amazônicas" (「アマゾンの鳥類目録」)を執筆し、1914年から1922年の間、エミリオ・ゴエルジ・パラー博物館の館長を務めた。1915年にイギリス鳥学会の名誉会員に選ばれた。1921年にリオ·デ·ジャネイロのブラジル国立博物館の"naturalista viajante"(野外研究員)となった。ミナスジェライス州マラニョン州セアラー州エスピリトサント州サンタカタリーナ州パラナ州サンパウロ州、アマゾン地域のフィールド調査を行い、ブラジルの鳥類相の彼女の研究を続けた。フィールド調査中のマデイラ川ポルト・ヴェーリョで、心不全のため没した。

インコ科の鳥類、Pyrrhura snethlageaePyrrhura amazonumのシノニム)に献名された。

参考文献

  • Cunha, O.R. (1989). Talento e atitude: estudos biográficos do Museu Emílio Goeldi. Belém: Museu Paraense Emilio Goeldi 
  • Bertha Lutz|Lutz, Bertha. (1958) “Emilie Snethlage (1868-1929)”. In: Museu Nacional/Universidade do Brasil. Relatório annual, 1957 [Annual Report]. Rio de Janeiro. p. 39-43.



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