イティマード・ウッダウラ廟とは? わかりやすく解説

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イティマード・ウッダウラ廟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/21 19:11 UTC 版)

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西から見たイティマード・ウッダウラ廟

イティマード・ウッダウラ廟ウルドゥー語: اعتماد الدولہ کا مقبرہ‎, Tomb of I'timād-ud-Daulah)は、インドアーグラにあるムガル帝国の宰相ミールザー・ギヤース・ベグの墓廟。

概要

別方向からのイティマード・ウッダウラ廟

1622年1月ムガル帝国の宰相ミールザー・ギヤース・ベグが死亡した。彼は皇帝ジャハーンギールから尊称「イティマード・ウッダウラ」(国家の柱)の称号を与えられた人物である。

娘のジャハーンギール妃であるヌール・ジャハーンはその死を悼み、同年から1628年にかけて墓廟をヤムナー川の右岸に建設した。建材は主にラージャスターン地方から集められ、白大理石を主として壁を彩るための紅玉碧玉ラピスラズリオニキストパーズといった宝石がちりばめられた。

完成した墓廟は中央のドームと四つのミナレットから成る典型的なムガル建築であり、のちに建設されたムムターズ・マハルの墓廟タージ・マハルの原型になったという。

ギャラリー

参考文献

  • 小谷汪之 『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』 山川出版社、2007年 

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