イッツ・ゴナ・テイク・ア・ミラクル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/09 16:25 UTC 版)
| 「It's Gonna Take a Miracle」 | ||||
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| ロイヤレッツ の シングル | ||||
| B面 | Out of Sight, Out of Mind | |||
| リリース | ||||
| ジャンル | R&B[1] | |||
| レーベル | MGMレコード | |||
| 作詞・作曲 |
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| ロイヤレッツ シングル 年表 | ||||
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「イッツ・ゴナ・テイク・ア・ミラクル」("It's Gonna Take a Miracle")は、テディ・ランダッツォ、ボビー・ワインスタイン、ルー・ストールマンが作詞作曲した楽曲。この曲は、1965年にロイヤレッツにとっての初のR&Bヒットとなり、U.S. R&Bチャートで30位にランクインし、Billboard Hot 100で最高41位を、キャッシュボックスで最高37位を記録した[2][3]。
この曲はもともとはリトル・アンソニー&ジ・インペリアルズのために作られたが、グループのレコードレーベルであるDCP (ドン・コスタ・プロダクションズ)レコードの作詞家/レーベル所有者であるテディ・ランダッツォとドン・コスタとの著作権使用料をめぐる争いのため、彼らはこの曲を録音することはなかった[4]。インペリアルズのメンバーで、2回のロックの殿堂入りを果たしたサミー・ストレインは
「(DCPで)ヒット曲をたくさん出したのに、印税を全く受け取っていなかったんです。僕らは抗議し、決算が終わるまでスタジオには入らないと言いました。8、9ヶ月ほどレコーディングをしませんでした。その間、テディ・ランダッツォはボルチモア出身のガールズグループ、ロイヤレッツをプロデュースしました。彼は彼女たちにリトル・アンソニー&ジ・インペリアルズのために書いた「イッツ・ゴナ・テイク・ア・ミラクル」という曲を渡しました。初めてリリースされたとき、誰もが私たちの曲だと思いました。彼は「You Better Go」というヒット曲を出したデレク・マーティンもプロデュースしました。しかし、レコード会社とのストライキで、僕らは「ゴナ・テイク・ア・ミラクル」のミリオンセラーを逃してしまいました。」[4]
と回想している。
チャート成績
| チャート(1965年) | 最高 順位 |
|---|---|
| 全米 ビルボード ホット100[5] | 41 |
| 全米 ビルボード R&B[3] | 28 |
| 全米 キャッシュボックス トップ100[2] | 37 |
デニース・ウィリアムスによるカバー
| 「It's Gonna Take a Miracle」 | ||||
|---|---|---|---|---|
| デニース・ウィリアムス の シングル | ||||
| 初出アルバム『ミラクル・ラブ』 | ||||
| B面 | A Part of Love | |||
| リリース | ||||
| 録音 | 1981年 シグマ・サウンド(ペンシルベニア州フィラデルフィア) |
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| ジャンル | R&B | |||
| 時間 | <time datetime="4:09">4:09 | |||
| レーベル | ARC/コロムビア | |||
| 作詞・作曲 |
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| プロデュース | デニース・ウィリアムス、トム・ベル | |||
| デニース・ウィリアムス シングル 年表 | ||||
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「イッツ・ゴナ・テイク・ア・ミラクル」の最も成功したバージョンは、R&Bとゴスペル歌手のデニース・ウィリアムスによる1982年のカバーだった。このバージョンはR&Bチャートで2週にわたって1位を記録し[6]、Billboard Hot 100でも最高10位を記録した[5]。
チャート成績
週間チャート
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年間チャート
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その他のカバーバージョン
- 1970年、アルトン・エリスがアルバム『Sunday Coming』で。
- 1971年、ローラ・ニーロがラベルと共作したカバーアルバム『ゴナ・テイク・ア・ミラクル』に収録した。ニーロによる音源は、2004年の映画『この世の果ての家』で使用された。
- 同じ1971年、フィラデルフィアを拠点とする女性カルテットのハニー&ザ・ビーズは、リトル・アンソニーのヒット曲2曲、「Hurts So Bad」と「Going Out Of My Head」を組み合わせたメドレーの一部としてこの曲を録音しR&Bチャートで成功をおさめた。
- 1994年、マンハッタン・トランスファーはベット・ミドラーをリードボーカルに迎えてこの曲をレコーディングし、1995年のアルバム『カヴァーズ』に収録してリリースした。[2]
脚注
- ^ Breihan, Tom (2020年8月19日). “The Number Ones: Deniece Williams' "Let's Hear It For The Boy”. Stereogum. 2023年7月29日閲覧。 “...A 1982 cover of the Royalettes’ 1965 R&B ballad “It’s Gonna Take A Miracle,” which peaked at #10.”
- ^ a b “Cash Box Top 100 Singles, September 9, 1965”. 2015年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月26日閲覧。
- ^ a b Whitburn, Joel (2004). Top R&B/Hip-Hop Singles: 1942-2004. Record Research. p. 503
- ^ a b [1] Archived 2015-02-03 at the Wayback Machine.
- ^ a b c Joel Whitburn's Top Pop Singles 1955-1990 - ISBN 0-89820-089-X
- ^ a b Whitburn, Joel (2004). Top R&B/Hip-Hop Singles: 1942-2004. Record Research. p. 625
- ^ “Item Display - RPM - Library and Archives Canada”. Collectionscanada.gc.ca (1982年7月10日). 2018年1月4日閲覧。
- ^ “NZ Top 40 Singles Chart | the Official New Zealand Music Chart”. 2017年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月26日閲覧。
- ^ “Cash Box Top 100 Singles, June 26, 1982”. 2015年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月26日閲覧。
- ^ “Top 100 Hits of 1982/Top 100 Songs of 1982”. Musicoutfitters.com. 2021年4月22日閲覧。
外部リンク
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