アンリ1世 (ブラバント公)とは? わかりやすく解説

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アンリ1世 (ブラバント公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/19 18:53 UTC 版)

アンリ1世
Henri I
ブラバント公
在位 1184年 - 1235年

出生 1165年
死去 1235年9月5日
神聖ローマ帝国ケルン
埋葬 ブラバント公領、ルーヴェン、聖ペテロ教会
配偶者 マティルド・ド・ブローニュ
  マリー・ド・フランス
子女 一覧参照
家名 ブラバント家
父親 下ロレーヌ公ゴドフロワ8世
母親 マルガレーテ・フォン・リンブルク
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アンリ1世(Henri Ier, 1165年 - 1235年9月5日)は、ブラバント公(在位:1184年 - 1235年)。父はルーヴェン伯兼下ロレーヌ公ゴドフロワ8世(7世とも)、母はリンブルク公ハインリヒ2世の娘マルガレーテ。

生涯

1184年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世にブラバント公の称号を与えられ、ブラバント公国を創設した(父も共同統治)。1185年スヘルトーヘンボスを自治都市に指定、繁栄の基礎を築いた。1190年の父の死により下ロレーヌ公爵位も相続した(但し、実権の伴わない名誉職)。神聖ローマ帝国の内乱ではオットー4世を支持、娘マリアを娶わせたが、1214年ブーヴィーヌの戦いに参戦して敗北、フリードリヒ2世に降伏した。1234年に婿のホラント伯フロリス4世と共にブレーメンへ遠征した。

1235年、ケルンで死去。遺体はルーヴェンの聖ペテロ教会へ埋葬された。

子女

1179年、ブローニュ伯マチュー・ダルザスと女伯マリーの娘マティルドと結婚、6人の子が生まれた。

  1. マリー(1190年 - 1260年) - 神聖ローマ皇帝オットー4世と結婚、死別後ホラント伯ウィレム1世と再婚。
  2. アデライード(1190年 - 1265年) - ブローニュ女伯。ルース伯アルヌール3世(en)と結婚、次いでオーヴェルニュ伯ギヨーム10世と再婚。
  3. マルグリット(1192年 - 1231年) - ゲルデルン伯ゲルハルト3世と結婚。
  4. マティルド(1200年 - 1267年) - ライン宮中伯ハインリヒ6世と結婚、死別後ホラント伯フロリス4世と再婚。
  5. アンリ2世(1207年 - 1248年)
  6. ジョフロワ(1209年 - 1253年) - ガースベーク領主

1213年フランスフィリップ2世アニェス・ド・メラニーの娘マリーと再婚、2人の子が生まれた。

  1. エリーザベト(? - 1272年) - クレーフェ伯・ディンスラーケン領主ディートリヒと結婚、次いでヴァッセンベルク伯ゲルハルト2世と再婚。
  2. マリー - 早世
先代
新設
ブラバント公
1184年 - 1235年
次代
アンリ2世



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