アントワーヌ (ブラバント公)とは? わかりやすく解説

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アントワーヌ (ブラバント公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/01 14:13 UTC 版)

アントワーヌ・ド・ブルゴーニュ(Antoine de Bourgogne, 1384年8月 - 1415年10月25日)は、ブラバント公(在位:1406年 - 1415年)。ブルゴーニュフィリップ2世(豪胆公)とフランドル女伯マルグリット3世の息子で、ヴァロワ=ブルゴーニュ家で最初にブラバント公となった人物。

ブルゴーニュ公爵夫妻の第7子、四男として生まれた。長兄ジャン・サン・プールはブルゴーニュ公、弟フィリップはヌヴェール伯およびルテル伯である。長姉マルグリット下バイエルン=シュトラウビング公エノー伯ホラント伯・ゼーラント伯ヴィルヘルム2世の妻、次姉カトリーヌはオーストリア公レオポルト4世の妻、妹マリーはサヴォイア伯アメデオ8世(対立教皇フェリクス5世)の妻となった。

母方の祖母マルグリットの姉、ブラバント女公ジャンヌの死後、協定によりブラバント公を相続した。

1402年にリニー伯兼サン=ポル伯ワレラン3世の娘ジャンヌ・ド・サン=ポル(? - 1406年)と結婚し、2男をもうけた。アントワーヌの死後はこの2人が相次いでブラバント公を継承した。

1409年ルクセンブルク女公エリーザベト・フォン・ゲルリッツと再婚し、2子をもうけたが、いずれも夭逝した。

1415年に弟フィリップと共にアジャンクールの戦いで戦死した。

先代:
フィリップ2世
マルグリット3世
ルテル伯
1393年 - 1406年
次代:
フィリップ・ド・ブルゴーニュ
先代:
ジャンヌ
ブラバント公
1406年 - 1415年
次代:
ジャン4世



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