アントイネッテ・フォン・ザクセン=アルテンブルク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/05 16:24 UTC 版)
Jump to navigation Jump to searchアントイネッテ・フォン・ザクセン=アルテンブルク(Antoinette von Sachsen-Altenburg, 1838年4月17日 バンベルク - 1908年10月3日 ベルヒテスガーデン)は、ドイツのザクセン=アルテンブルク家の公女で、アンハルト公フリードリヒ1世の妻。全名はアントイネッテ・シャルロッテ・マリー・ヨゼフィーネ・カロリーネ・フリーダ(Antoinette Charlotte Marie Josephine Karoline Frida von Sachsen-Altenburg)。
生涯
ザクセン=アルテンブルク公子エドゥアルトとその最初の妻でホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯カールの娘であるアマーリエ(1815年 - 1841年)の間の第2子、次女として生まれた。1854年4月22日にアルテンブルクにおいてフリードリヒと結婚した。この縁組はドイツの諸侯家門同士の政略結婚で、アントイネッテにとっては最も裕福な諸侯の1人に嫁ぐことが出来る良縁であった。公爵夫妻の結婚式に際しては、記念メダルが発行された。1892年、嫁のマリーとともにアンハルト公国の教会婦人奉仕団施設を開いた[1]。公爵夫人の名前を冠したものには、ゼルケ川河畔のアントイネッテ歩道(Antoinettenweg)、デッサウのアントイネッテ通り(Antoinettenstraße)およびアントイネッテ高等学校(Antoinettenlyzeum)[2] がある。
子女
夫との間に4男2女の6人の子女をもうけた。
- レオポルト・フリードリヒ・フランツ・エルンスト(1855年 - 1886年)
- レオポルト・フリードリヒ・エドゥアルト・カール・アレクサンダー(1856年 - 1918年) - アンハルト公
- エリーザベト・マリー・フリーデリケ・アメーリエ・アグネス(1857年 - 1933年) - 1877年、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公アドルフ・フリードリヒ5世と結婚
- エドゥアルト・ゲオルク・ヴィルヘルム・マクシミリアン(1861年 - 1918年) - アンハルト公
- アリベルト・ヨーゼフ・アレクサンダー(1866年 - 1933年)
- アレクサンドラ・テレーゼ・マリー(1868年 - 1958年) - 1897年、シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯子ジッツォと結婚
参考文献
- Ferdinand Siebigk: Das Herzogthum Anhalt: Historisch, geographisch u. statistisch, Desbarats, 1867, S. 102 (Digitalisat)
脚注
- ^ http://www.ada-dessau.de/content/view/39/61/
- ^ in Goethe-Oberschule II umbenannt
外部リンク
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