アルセン・カラジョルジェヴィチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/03/07 20:13 UTC 版)
アルセン・カラジョルジェヴィチ(Арсен Карађорђевић, 1859年4月16/17日 ティミショアラ - 1938年10月19日 パリ)は、セルビアのカラジョルジェヴィチ家の王族。セルビア王ペータル1世の弟、ユーゴスラビア王アレクサンダル1世の叔父、ユーゴスラビア摂政宮パヴレの父親である。
セルビア公アレクサンダル・カラジョルジェヴィチとその妻ペルシダ・ネナドヴィッチの間の末息子として、父の廃位の1年後に両親の亡命先で生まれた。ロシア帝国政府に軍人として仕官した。1892年5月1日にサンクトペテルブルクにおいて、第2代サン・ドナート公爵パーヴェル・デミドフの娘アヴローラ・デミドヴァと結婚し、間に1人息子パヴレをもうけた[1]。その後、夫妻は1896年に離婚した。
脚注
- ^ Paul Theroff. “YUGOSLAVIA”. Paul Theroff's Royal Genealogy Site. 2013年3月8日閲覧。
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、アルセン・カラジョルジェヴィチに関するカテゴリがあります。
- アルセン・カラジョルジェヴィチのページへのリンク