アユタヤ日本人町
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アユタヤ日本人町(アユタヤにほんじんまち)は、17世紀後半から18世紀頃までアユタヤにあった日本人町。17世紀後半から18世紀初頭までアユタヤ王朝下、軍事力と貿易による利潤を背景に政治的に力を持つようになった。当時のアユタヤ中心地をチャオプラヤー川沿いに南に下った東岸にあり、西岸のポルトガル人街とは相対の位置にあった。南北約570メートル、230メートルの敷地に最盛期で1000~1500人の日本人(タイ族などの奴隷として労働した者を除く)が住んでいたと考えられている。なお『暹羅国風土軍記』の資料では寛永期ごろのアユタヤ日本人町の人口を8000人と見積もっている。アユタヤ日本人町の住民は、傭兵、貿易商、キリシタン、あるいは彼らの配偶者やタイ族と中国人である奴隷などで構成されていた。
- ^ 栗原福也「十七・八世紀の日本=シャム貿易について(栗原福也教授退職記念号)」『経済と社会:東京女子大学社会学会紀要』第22巻、1994年2月、1-26頁、CRID 1050845762587596416。
- ^ 日本人町跡タイ国政府観光庁日本事務所公式ホームページ
- ^ “日本人町跡”. タイ国政府観光庁. 2013年11月閲覧。
- 1 アユタヤ日本人町とは
- 2 アユタヤ日本人町の概要
- 3 歴史
- 4 位置
- 5 外部リンク
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