アニェル・ブンダヴォエとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アニェル・ブンダヴォエの意味・解説 

アニェル・ブンダヴォエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 09:38 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

アニェル・ブンダヴォエ(Agnelle Bundervoët, 1922年10月12日[1] - 2015年2月14日[2])は、フランスピアノ奏者[3][4]

生涯

アンベール出身[5]。4歳から母親の手ほどきでピアノを始める。7歳にはマルセイユ音楽院に入学したが、10歳の時にプルミエ・プリを取得し、パリ音楽院のラザール・レヴィの許でピアノの腕を磨いた。レヴィのクラスには13歳になってから所属することとなったが、レヴィのクラスに入るまでに、音楽理論のクラスに所属しながらレヴィから無償のレッスンを受けていた。

1940年にヴィシー政権によりレヴィが音楽院の教授職を解任されると、マルセル・シャンピやレヴィの助手を務めていたガブリエル・ジロー=ラタルズの薫陶を受け、1942年にピアノ演奏でプルミエ・プリを獲得した[6]

その後も1948年まで音楽院に在籍して和声や対位法等の音楽理論を究めたり、モーリス・エウィットに室内楽を学んだり、マルセル・デュプレにオルガンの個人指導を受けたりして見聞を広めた。音楽院を卒業後は活発に演奏活動を行い、1954年にはエルサ・バルレーヌのピアノ協奏曲の初演の独奏を務めている。

しかし、1950年代半ばからリウマチに悩まされるようになり、演奏の場をコンサート会場から放送や録音に移すようになった。

1956年から1986年までヴェルサイユ音楽院のピアノ科で後進を指導するようになってからは、教育活動に専心するようになった。

ヴォークレソンにて死去。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

出典

  1. ^ Gaussin, Frédéric (2016). “Agnelle Bundervoët”. Agnelle Bundervoët Khachaturian・Saint Saëns・Franck (Melo Classics): 2-6. EAN 791154054291
  2. ^ Avis de décès - Agnelle BUNDERVOËT-BRAUN - Avis obsèques - Vaucresson (92) - Dans nos coeurs”. 2016年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月4日閲覧。
  3. ^ アニェル・ブンダヴォエ - Discogs
  4. ^ Forgotten Pianists: Agnelle Bundervoët”. 2021年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月13日閲覧。
  5. ^ アーカイブ 2021年1月13日 - ウェイバックマシン
  6. ^ [CD] SAKURAPHON アニュエル・ブンダヴォエ/バッハ名演集”. 2021年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月13日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  アニェル・ブンダヴォエのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アニェル・ブンダヴォエ」の関連用語

アニェル・ブンダヴォエのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アニェル・ブンダヴォエのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアニェル・ブンダヴォエ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS