とげぬき地蔵の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 15:07 UTC 版)
江戸時代、武士の田付又四郎の妻が病に苦しみ、死に瀕していた。又四郎が、夢枕に立った地蔵菩薩のお告げにしたがい、地蔵の姿を印じた紙1万枚を川に流すと、その効験あってか妻の病が回復したという。これが寺で配布している「御影」の始まりであるとされる。 その後、毛利家の女中が針を誤飲した際、地蔵菩薩の御影を飲み込んだ所、針を吐き出すことができ、吐き出した御影に針が刺さっていたという伝承もあり、「とげぬき地蔵」の通称はこれに由来する。そこから他の病気の治癒改善にも利益(りやく)があるとされ、現在に到るまでその利益を求めて高齢者を中心に参拝者が絶えない。
※この「とげぬき地蔵の由来」の解説は、「高岩寺」の解説の一部です。
「とげぬき地蔵の由来」を含む「高岩寺」の記事については、「高岩寺」の概要を参照ください。
- とげぬき地蔵の由来のページへのリンク