2001年オーストラリアグランプリ 2001年オーストラリアグランプリの概要

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 2001年オーストラリアグランプリの解説 > 2001年オーストラリアグランプリの概要 

2001年オーストラリアグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 03:41 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 2001年オーストラリアグランプリ
レース詳細
日程 2001年シーズン
決勝開催日 3月4日
開催地 アルバート・パーク・サーキット
オーストラリアメルボルン
コース長 5.303km
レース距離 307.574km
ポールポジション
ドライバー
タイム 1:26.892
ファステストラップ
ドライバー ミハエル・シューマッハ
タイム 1:28.214
決勝順位
優勝
2位
3位

レース

ミハエル・シューマッハはプラクティス・セッションの間、車のロールに悩まされたものの、ポールポジションを獲得しレースをリードした。チームメイトのルーベンス・バリチェロはスタートに失敗し、1コーナーまでに2位から5位へと順位を下げる。バリチェロはジョーダンのハインツ=ハラルド・フレンツェンをパスしようとし、フレンツェンはスピンを喫する。この時点でミカ・ハッキネンが2位を走行する。

アロウズの新人、エンリケ・ベルノルディは3周目に1コーナーのウォールに接触、スピンしリタイアする。4周目、BARのジャック・ヴィルヌーヴがウィリアムズのラルフ・シューマッハに追突する。ヴィルヌーヴのマシンはコース脇のコンクリートウォールに向かって飛び、ホイールと車体をはじいて壁沿いに停止した。ラルフ・シューマッハはスピンしてコースと縁石に車体底部を打ち付けた後コース脇のグラベルに飛び出し、リアウィングと左リアサスを損傷、レースに復帰することはできなかった。

ヴィルヌーヴ車のホイールがコースマーシャルのグラハム・ビヴァリッジに当たり、ビヴァリッジは重傷を負った。レースは中断されなかったが、直ちにセーフティーカーが導入され、ビヴァリッジが収容された10周目までセーフティーカーがレースをコントロールした。ビヴァリッジは病院に搬送されたが、死亡した。

再スタート後、シューマッハはハッキネンとバリチェロを引き離してレースを再びリードした。ハッキネンのレースは25周目に右フロントサスの破損のために終了した。ハッキネンはスピンを喫し、タイヤバリアーに突っ込みリタイアした。シューマッハは依然トップを快走し、デヴィッド・クルサードが急速に追い上げバリチェロをパスした。バリチェロはレース後、レースの間中ハンドリングの問題に悩まされていたと話した。シューマッハはそのままクルサードとバリチェロを従え勝利した。シューマッハは当初マーシャルの死を知らず、勝利を喜んでいたが、表彰台に上がる前にその事実を知らされた。入賞した3名はマーシャルの死を知り、表彰台では暗いムードであった。ビヴァリッジとその家族に対する追悼の意を表すため、シャンパンファイトは行われなかった。

ザウバーニック・ハイドフェルドが4位でフィニッシュし、F1における初のポイントを獲得、チームメイトのキミ・ライコネンもデビュー戦を6位で終えた。ライコネンにとってこのレースは24回目のレースであった。オリビエ・パニスヨス・フェルスタッペンはイエローフラッグの間に追い越しを行ったとして25秒のペナルティが加算された(パニスは4位、フェルスタッペンは9位でのフィニッシュであった)。

このレースはミシュランの復帰第1戦であった。ジャガールチアーノ・ブルティが8位でフィニッシュし、これがミシュラン勢の最高位であった。

予選

順位 No ドライバー チーム ラップタイム
1 1 ミハエル・シューマッハ フェラーリ 1:26.892 -
2 2 ルーベンス・バリチェロ フェラーリ 1:27.263 +0.371
3 3 ミカ・ハッキネン マクラーレン-メルセデス 1:27.461 +0.569
4 11 ハインツ=ハラルド・フレンツェン ジョーダン-ホンダ 1:27.658 +0.766
5 5 ラルフ・シューマッハ ウィリアムズ-BMW 1:27.719 +0.827
6 4 デヴィッド・クルサード マクラーレン-メルセデス 1:28.010 +1.118
7 12 ヤルノ・トゥルーリ ジョーダン-ホンダ 1:28.377 +1.485
8 10 ジャック・ヴィルヌーヴ B・A・R-ホンダ 1:28.435 +1.543
9 9 オリビエ・パニス B・A・R-ホンダ 1:28.518 +1.626
10 16 ニック・ハイドフェルド ザウバー-ペトロナス 1:28.615 +1.723
11 6 ファン・パブロ・モントーヤ ウィリアムズ-BMW 1:28.738 +1.846
12 18 エディ・アーバイン ジャガー-コスワース 1:28.965 +2.073
13 17 キミ・ライコネン ザウバー-ペトロナス 1:28.993 +2.101
14 22 ジャン・アレジ プロスト-エイサー 1:29.893 +3.001
15 14 ヨス・フェルスタッペン アロウズ-アジアテック 1:29.934 +3.042
16 8 ジェンソン・バトン ベネトン-ルノー 1:30.035 +3.143
17 7 ジャンカルロ・フィジケラ ベネトン-ルノー 1:30.209 +3.317
18 15 エンリケ・ベルノルディ アロウズ-アジアテック 1:30.520 +3.628
19 21 フェルナンド・アロンソ ミナルディ-ヨーロピアン 1:30.657 +3.765
20 23 ガストン・マッツァカーネ プロスト-エイサー 1:30.798 +3.906
21 19 ルチアーノ・ブルティ ジャガー-コスワース 1:30.978 +4.086
107% time: 1:32.974
22 20 タルソ・マルケス ミナルディ-ヨーロピアン 1:33.228 +6.3361
1.^ タルソ・マルケスは予選最速タイムの107%に入らなかったが、決勝への出走を認められた。



「2001年オーストラリアグランプリ」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「2001年オーストラリアグランプリ」の関連用語

2001年オーストラリアグランプリのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



2001年オーストラリアグランプリのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの2001年オーストラリアグランプリ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS