菅達長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/12 17:17 UTC 版)
参考文献
- 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年、270-271頁。ISBN 4404017529。
- 高柳光寿; 松平年一『戦国人名辞典』吉川弘文館、1981年、81-82頁。
- 田村昭治『ここに人あり 淡路人物誌』教育出版センター、1999年3月。ISBN 4905702186
- 五子について
- ^ 長男。長宗我部元親家臣としての活動がみられる。大坂冬の陣で父と共に自害。
- ^ 次男。仁三郎(二三郎とも)、若狭守。後に小早川秀秋家臣、さらに池田利隆家臣に転じたが、家は断絶した。
- ^ 三男。関ヶ原役で西軍に属して失領。池田輝政に召し抱えられ、その子・忠継のもとで大坂の冬の陣の野田福島合戦を戦い、活躍。忠継が死ぬと、淡路洲本藩の忠長の家臣に。光仲の転封に従い、鳥取藩に転居し、4家老の1人として3,000石の禄を食む。
- ^ 四男。鳥取藩で権之佐より550石を分知されたが、断絶したので、知行は五男に相続される。
- ^ 五男。鳥取藩で権之佐より450石を分知された。子孫は藩士。
- ^ 又四郎。慶長の役の碧波亭下の水戦で戦死。達長の子というが、系図には名前がない。
- ^ 「大阪歴史探訪」の第7回目を行いました(archive.today、2012年12月19日) - http://www.occh.or.jp/event/893-event01.html[リンク切れ]}
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