芋川椋三玄関番の巻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/04 07:35 UTC 版)
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参考文献
- 津堅信之「日本の初期アニメーション作家3人の業績に関する研究」『アニメーション研究』第3巻2A、日本アニメーション学会、2002年、7-20頁、NAID 40005244418。
- 津堅信之『日本初のアニメーション作家 北山清太郎』臨川書店、2007年。
- 松本夏樹, 津堅信之「国産最古と考えられるアニメーションフィルムの発見について」『映像学』第76巻、日本映像学会、2006年、86-105頁、NAID 40007340967。
- 山口且訓, 渡辺泰 著、プラネット 編『日本アニメーション映画史』有文社、1977年。
- 「フィルム・レコード」『キネマ・レコード』第5巻第45号、キネマ・レコード社、1917年3月10日、140頁。
- 田村「フイルム見物 四月の巻」『キネマ・レコード』第5巻第47号、キネマ・レコード社、1917年5月15日、239-240頁。
- 「和製カートン、コメディを見る」『キネマ・レコード』第5巻第49号、キネマ・レコード社、1917年7月15日、339頁。
- 下川凹天「日本最初の漫畫映畫製作の思ひ出」『映畫評論』第7号、映畫評論社、1934年、39頁。
- Frederick S. Litten (2013年6月1日). “Some remarks on the first Japanese animation films in 1917”. 2013年6月30日閲覧。
- 渡辺泰、大徳哲雄、木村智哉 (2017年1月1日). “国産商業アニメーション映画第一号に関する調査レポート”. 2017年3月5日閲覧。
- ^ これは古い作品のため、資料の記述がまちまちなため。
- ^ 津堅信之 2002.
- ^ 津堅信之 2007, pp. 97–100.
- ^ a b 下川凹天 (1934)。本作品については「第一回作品『芋川椋三玄關番の巻』他二本はキネマ倶楽部で封切されました」と言及。
- ^ Frederick S. Litten 2013
- ^ 渡辺泰、大徳哲雄、木村智哉 (2017年1月1日). “国産商業アニメーション映画第一号に関する調査レポート 2017/01/01 中間報告”. 2018年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月30日閲覧。
- ^ 渡辺泰、大徳哲雄、木村智哉 (2020年4月8日). “国産商業アニメーション映画第一号に関する調査レポート 2020/04/08”. 2022年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月14日閲覧。
- ^ 山口且訓, 渡辺泰 1977, p. 192.
- ^ 松本夏樹, 津堅信之 2006.
- ^ 1912年(明治45年)4月に東京市の映画館で公開されたエミール・コールによる1911年の作品『ニッパールの変形』が日本で最初に封切られたアニメーション映画といわれる。その後、欧米のアニメーション映画が多数輸入され、その多くは『凸坊新畫帖 ○○の巻』等と邦訳された。
- ^ 北山清太郎や幸内純一が製作を始めた経緯や時期については議論があるが、詳細はそれぞれの項目を参照。
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