自律訓練法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/13 05:12 UTC 版)
歴史
もとはドイツの大脳生理学者オスカー・フォクトの臨床的催眠研究に基づく。フォクトの研究に刺激されたシュルツは1905年催眠と暗示の可能性について改めて検討を始めた。シュルツは人が催眠状態に入るとほとんどが共通とも言える2つの主観的な感じを報告することがわかった。一つは肢体がひどく「重たい」という感じであり、もう一つは、だんだん広がっていく「温かい」感じであった。彼はこの2つが覚醒状態から催眠状態への変化をもたらす本質的要因だろうと推測した。
そのため、今度は逆に四肢の「重たさ」や「温かさ」を考えるだけで催眠と似た心理・生理的状態を起こさせるのかが問題となった。そうして、「重たい」感じが筋肉の弛緩、「温かい」感じは更に身体全体及び心理的な弛緩によるものと考えられた。シュルツはこのような弛緩が暗示自体の効果というより、むしろこれこそが催眠生起に必須の心理・生理的条件だとした。
ゆえに、練習によって自分自身で心身の弛緩を体系的に進めるとその結果催眠と似た状態が自然発生的に作り出せると考えた。いくつもの自己暗示が試され実験的検討が多年にわたり重ねられ、身体的感覚を中心とした一連の自己暗示の系列が組まれ、標準的なやり方ができ上がった。これによって被験者は他者催眠によらないでも、催眠に似た状態を誘導出来るようになったし、どんな催眠現象とも同じような現象を引き起こせることもわかってきた。この方法はその内臨床的にも有用なことがわかってきた。
この実験的、および臨床的研究結果をまとめて、1932年シュルツは著書『自律訓練法(Das Autogene Traininng)』を公にした。この年が自律訓練法の創始年とされている。シュルツによる技法の原型は1926年に発表した"autogene Organ bungen"である。
日本で自律訓練法が初めて紹介されたのは1951年、京都大学の佐藤幸治によってである。
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