羽衣伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/20 20:52 UTC 版)
ユーラシア大陸の羽衣伝説
- 朝鮮
- 江原道金剛山にまつわる伝承である[5]。貧しくも誠実な樵が猟師に追われた1匹の獐(あるいは鹿)を憐れみ匿ったところ、返礼として、天女を妻とするために沐浴の間に衣服を隠すことを教わり、その通りにする[5]。衣を失って飛べなくなった天女はやむをえず男の妻となり複数の子を儲けるが、やがて衣を取り戻して天に帰る。その後の展開には、日本の羽衣伝説同様、いくつかの系統がある[5]。
- 中国
- 『捜神記』によれば、豫洲新喩県の男が田に6~7人の女を見つけ、隠れて近づき、脱いでおかれていた衣を1枚隠す。男が姿を見せると女たちは鳥となって飛び去るが、衣を失った1羽は飛び立つことができない。男はそれを捕らえて妻とし、3人の娘を生ませるが、やがて女は娘から父に衣の隠し場所を聞き出させて取り戻し、娘たちを連れて去る[6]。『玄中記』に残る姑獲鳥伝説にも同様の展開がみられる[6]。
- ベトナム
- 樵の男が人の気配のない泉で沐浴する数人の仙女を見つけ、1人の着物を米蔵の底に隠し、仙女を己の妻とする。数年は睦まじく暮らすが、息子が3歳になったある日、夫の不在時に米を売った仙女は着物を見つけ、自らの櫛を息子の襟に付けて去る。男は帰宅後に事情を知り、息子を連れて泉に向かい、息子が水に櫛を沈める。仙女は2人を認めて共に暮らすことになるが、仙女の召使の不注意により父と子は海で溺死し、仙女は召使を罰して明けの明星に変えてしまう[7]。他説では、仙女自身が明けの明星となり、父と子は宵の明星になって、互いに捜しあっているが二度と会うことはできない、とする[7]。
- インドネシア
- インドネシアの中央セレベスには、天女が蟹や鸚鵡、鳩の姿をとる羽衣伝説が伝わる[8]。また、ジャワ島には「羽衣天女」と「鶴の恩返し」双方の要素をもつ伝承が伝わる[8]。そのほかボルネオ、ハルマヘラ島等、各地に羽衣天女(羽衣伝説)と同様の展開をする説話が伝わっている[8]。
- フランス
- 「作者不詳の『グラアランの短詩』の主人公グラアランは、森の中で真っ白な雌鹿を見かける。その雌鹿が彼の眼前に飛び出してきたので呼びかけたが、雌鹿は離れていく。彼は馬で雌鹿の後を追うが追いつけず、広野にある泉へと導かれる。泉では1人の乙女が水浴びをしていて、2人の別の乙女がそのほとりにいた。水浴びしている乙女の衣服は、草叢の中に置かれていた。グラアランはその衣服を奪い、娘を無理やり引き留めようと考えた。その後、グラアランはこの娘を妻に迎える[後にグラアランは宮廷で皆が王妃の美貌を称える中、王妃よりも美しい女性が見つけられると断言する。これにより、2人の恋を誰にも明かさないという妻との約束を破る。妻を失ったグラアランは、王妃を侮辱した罪で判決を待つ身となったが、判決の日に妻が現れて無罪放免となる]。そして妻は馬で森に向かい、川へ入っていく。後を追ったグラアランが川で溺れそうになると、妻は彼を一緒に自国へ連れ帰ったという」[9]。
同様の伝承は、メラネシアのニュー・ヘブライデス島や、モンゴル、シベリア、アイヌ人の神話にもみられる[10]。
- ^ a b 中島悦次『大東亜神話』統正社、1942年、223頁。
- ^ 中島悦次『大東亜神話』統正社、1942年、224頁。
- ^ 中島悦次『大東亜神話』統正社、1942年、255頁。
- ^ フィリップ・ヴァルテール『ユーラシアの女性神話-ユーラシア神話試論Ⅱ』(渡邉浩司・渡邉裕美子訳)中央大学出版部 2021年、ISBN 978-4-8057-5183-1、170頁。
- ^ a b c 中島悦次『大東亜神話』統正社、1942年、231-233頁。
- ^ a b 中島悦次『大東亜神話』統正社、1942年、234頁。
- ^ a b 中島悦次『大東亜神話』統正社、1942年、235頁。
- ^ a b c 中島悦次『大東亜神話』統正社、1942年、236-239頁。
- ^ フィリップ・ヴァルテール『ユーラシアの女性神話-ユーラシア神話試論Ⅱ』(渡邉浩司・渡邉裕美子訳)中央大学出版部 2021年、ISBN 978-4-8057-5183-1、167-185頁(第9章 羽衣とケルト人の「白い女神」)、『グラアランの短詩』の粗筋は170頁。
- ^ 中島悦次『大東亜神話』統正社、1942年、243-245頁。
- ^ 中島悦次『大東亜神話』統正社、1942年、253頁。
- 1 羽衣伝説とは
- 2 羽衣伝説の概要
- 3 ユーラシア大陸の羽衣伝説
- 4 北米・南米の羽衣伝説
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