秦朝 秦朝の君主

秦朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 09:43 UTC 版)

秦朝の君主

注:昭襄王は既に秦が周を全滅させた時点で51年間秦を支配していたが、戦国時代の他の6国は、依然独立を保っていた。従って歴史家によっては翌年(昭襄王の52年目)を正式なからの継承として用いた。

始皇帝は紀元前221年に中国を統一してから自ら「皇帝」と名乗った最初の中国の君主であった。従ってこの年は内戦で暫時中断する紀元前206年までの15年間続く「秦朝」の始まりと西洋の歴史家から一般に採用されている[50]

/ 肩書き 漢姓中国人名英語版 統治期間
慣例:「秦」+諡
昭襄王 嬴稷(yíng jì)または嬴則(yíng zé) 紀元前306年–紀元前250年
孝文王 嬴柱(yíng zhù) 紀元前250年
荘襄王 嬴子楚(yíng zǐ chǔ) 紀元前249年–紀元前247年
秦朝(紀元前221年–紀元前206年)
始皇帝 嬴政(yíng zhèng) 紀元前246年–紀元前210年
胡亥(二世皇帝(Èr Shì Huángdì)) 嬴胡亥(yíng hú hài) 紀元前210年–紀元前207年
子嬰は個人名か秦王子嬰(qín wáng zi yīng)を用いて参照されることが珍しくない。
存在せず 嬴子嬰(yíng zi yīng) 紀元前206年

脚注

参考文献一覧表

読み物


注釈

  1. ^ 秦の始皇帝は、王朝は1万世代続くであろうと自慢したが、15年程度で滅んだ。(Morton 1995, p. 49)
  2. ^ 後世のの公と混同しないこと
  3. ^ このことは「文化と社会」節で述べる(商鞅により実行された)地主政策の結果得られた広大な労働力による。
  4. ^ 兵器と共にこのことは秦の軍事と政府を語る節で詳述している。
  5. ^ ここは関東として知られる長江流域の地域と対照的に関中の中心であった。関中の秦の戦争に適した自然は、漢の「関東は大臣を作る一方で関中は将軍を作る」という金言に進化した。(Lewis 2007, p. 17)
  6. ^ 個人名は嬴政であった。
  7. ^ 現代中国の習慣は、姓として王朝名を加える慣習があるので、この場合は秦の始皇帝となる。後に中国人の名前が4文字の例は稀なので、こちらは秦始皇と縮められた。
  8. ^ 嘗てはカントンとして知られていた。
  9. ^ このことは画一性を強いる秦の企図にもかかわらず生き残る地域格差に大いに原因があった。
  10. ^ 秦の始皇帝は、王朝は1万世代続くと自慢したが、僅か15年程度で終演した。(Morton 1995, p. 49)
  11. ^ 「高い祖先」を意味する
  12. ^ 名称は支援者で他の国の征服前の首相呂不韋に由来する。
  13. ^ 「儒教」という用語は、事実「孔子の道」として知られることの原則を拒否したこの文脈の多い自称としての儒者においては逆に明白でなく、後世のの儒者と違い組織化されていなかった。
  14. ^ 犠牲は常に動物であり、人間の犠牲は、古代中国では禁じられていた。
  15. ^ しかし斉の神秘論者は、犠牲を不死になる方法という別の見方をした。

参照

  1. ^ 鸟虫篆文体
  2. ^ 村松弘一「黄土高原西部の環境と秦文化の形成 : 礼県大堡子山秦公墓の発見 (堀越孝一先生退任記念号)」『学習院史学』第42巻、学習院大学史学会、2004年、128-142頁、hdl:10959/00005252ISSN 0286-1658NAID 1200071746252022年11月29日閲覧 
  3. ^ 梁雲「早期秦文化の起源と形成」『秦の淵源―秦文化研究の最前線―』2021年、50-85頁、doi:10.15083/0002000772NAID 1200071265462022年11月29日閲覧 
  4. ^ Tanner 2010, p. 85-89
  5. ^ Lewis 2007, p. 17
  6. ^ Chinese surname history: Qin”. People's Daily Online. 2008年6月28日閲覧。
  7. ^ Lewis 2007, pp. 17–18
  8. ^ Lewis 2007, p. 88
  9. ^ a b Morton 1995, p. 45
  10. ^ a b Morton 1995, p. 26
  11. ^ Morton 1995, pg. 26
  12. ^ Time-Life Books 1993, p. 86
  13. ^ a b Kinney and Clark 2005, p. 10
  14. ^ a b Lewis 2007, pp. 18–19
  15. ^ Morton 1995, p. 25
  16. ^ Lewis 2007, pp. 38–39
  17. ^ Lewis 2007, p. 10
  18. ^ a b c World and Its Peoples: Eastern and Southern Asia, p. 36
  19. ^ a b c d Morton 1995, p. 47
  20. ^ Lewis 2007, p. 129
  21. ^ Breslin 2001, p. 5
  22. ^ Lewis 2007, p. 5
  23. ^ Borthwick, p. 10
  24. ^ Bai Yang (Chinese). Records of the Genealogy of Chinese Emperors, Empresses, and Their Descendants (中国帝王皇后親王公主世系録). 1. Friendship Publishing Corporation of China (中国友誼出版公司). pp. 134–135 
  25. ^ a b Kinney and Hardy 2005, p. 13-15
  26. ^ Bodde 1986, p. 84
  27. ^ Morton 1995, pp. 49–50
  28. ^ Lewis 2007, p. 11
  29. ^ Lewis 2007, p. 102
  30. ^ a b Lewis 2007, p. 15
  31. ^ Lewis 2007, p. 16
  32. ^ Lewis 2007, p. 75–78
  33. ^ World and its Peoples: Eastern and Southern Asia, p. 34
  34. ^ Bedini 1994, p. 83
  35. ^ Readings in Classical Chinese Philosophy, p. 61
  36. ^ Lewis 2007, p. 206
  37. ^ Borthwick, p. 17
  38. ^ a b Borthwick, p. 11
  39. ^ Bodde 1986, p. 72
  40. ^ Borthwick 2006, pp. 9–10
  41. ^ Chen, pp. 180–81
  42. ^ Borthwick 2006, p. 10
  43. ^ Morton 1995, p. 27
  44. ^ Mausoleum of the First Qin Emperor”. UNESCO. 2008年7月3日閲覧。
  45. ^ Lewis 2007, p. 178
  46. ^ Lewis 2007, p. 186
  47. ^ Lewis 2007, p. 180
  48. ^ Lewis 2007, p. 181
  49. ^ Keay 2009, p. 98.
  50. ^ Bodde 1986, p. 20


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