欧州石炭鉄鋼共同体 機関

欧州石炭鉄鋼共同体

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/13 06:35 UTC 版)

機関

欧州石炭鉄鋼共同体の機関には最高機関、共同総会、閣僚特別理事会、司法裁判所があった。また付属機関として諮問評議会が最高機関に設置されていた。これらの機関は1967年の欧州諸共同体発足時に統合されたが、諮問評議会だけは2002年のパリ条約失効時まで独立して存続していた[11][14]

パリ条約では機関の所在地について加盟国の総意で決めるよううたっていたが、これについては激しい議論となった。その場しのぎの妥協として、共同総会はストラスブールとしたものの、それ以外の機関は暫定的にルクセンブルク市に置かれた[15]

最高機関

ルクセンブルク国立貯蓄銀行本館
欧州石炭鉄鋼共同体最高機関の本部が置かれていた。

欧州委員会の前身である最高機関は9人で構成され、共同体の運営にあたる執行機関である。フランス、西ドイツ、イタリアから2人ずつが、ベネルクスから1人ずつが委員に任命された。委員に任命された9人は自らの中から1人を委員長に指名する[11]

委員は出身国政府から任命されるが、出身国の国益を代表するのではなく共同体全体の一般的利益を忠実に守るとされた。また委員の独立性については、共同体以外の役職を兼ねることや事業を行って利益を受け取ることが禁止されていたことからも確保されていた[11]

最高機関の理念として画期的な点はそのスープラナショナルな性格である。条約の目的達成を確保したり、共同市場が円滑に機能したりするためには幅広い分野で競合することがある。最高機関は3種類の法令でこれらに対応してきた。それらには、加盟国内で直接的に効力をもつ決定、目的には拘束力が与えられるもののその達成手段は加盟国に裁量が認められる勧告、そして一切の拘束力をもたない意見がある[11]

1967年の統合まで最高機関の委員長には以下の5人が任命され、また統合直前には暫定委員長が置かれていた[16]

  • ジャン・モネ( フランス出身、1952年8月7日 - 1955年6月3日)
  • ルネ・マイエール フランス出身、1955年6月4日 - 1958年1月6日)
  • ポール・フィネ ( ベルギー出身、1958年1月7日 - 1959年9月15日)
  • ピエロ・マルヴェスティーティ ( イタリア出身、1959年9月16日 - 1963年10月22日)
  • リナルド・デル・ボー ( イタリア出身、1963年10月23日 - 1967年2月28日)
  • アルベルト・コッペ ( ベルギー出身、1963年3月1日 - 1967年7月6日:暫定)

その他の機関

共同総会は78名で構成され、執行機関である最高機関の監督にあたっていた。共同総会の議員は各国議会内で互選された議員か、市民が直接選んだ人物であるとされた。ただ実際には前者だけしかおらず、またローマ条約が発効するまで選挙を実施する必要がなかったうえに、直接選挙が初めて実施されたのは1979年のことである。しかしながら共同総会という議会組織は各国政府の代表者で構成される従来の国際機関とは異なるものであるということが強調されており、それはパリ条約において「諸国民の代表」という文言が用いられているところに表れている[11]。共同総会はシューマンの構想には盛り込まれていなかったが、パリ条約の協議の2日目にジャン・モネが提案して創設されることになった。共同総会の設置は民主的な配慮を示すもので、正式な権限は与えられていないものの最高機関を統制する意味合いを持たせている。共同総会の初代議長にはポール=アンリ・スパークが選ばれた[17]

欧州連合理事会の前身である閣僚特別理事会は各国政府の代表者で構成されていた。また議長は加盟国が3か月ごとにアルファベット順の輪番制で務めていた。閣僚特別理事会の重要な点は最高機関と各国政府の政策執行の調整であり、当時国内の一般的な経済政策については加盟国政府があたっていた。さらに理事会は最高機関が担当する政策のなかで、特定分野について意見を述べることが求められていた[11]。石炭と鉄鋼に関する案件に限っては最高機関が排他的に扱い、これらの政策分野について理事会はただ監視にあたるのみであった。ところが石炭と鉄鋼以外の政策分野では理事会の同意が求められた[18]

司法裁判所の使命はパリ条約の解釈・適用を行い、欧州石炭鉄鋼共同体の法令遵守を確保することであった。裁判所は各国政府の総意で任命された7人の判事で構成され、任期は6年である。判事の国籍については問われることがなく、ただ適性が認められ、その独自性に疑念がもたれないということが要件となっている。さらに2人の法務官が裁判所を補佐している[11]

欧州連合の経済社会評議会に似たような機関であった諮問評議会は、石炭・鉄鋼産業の生産者、労働者、消費者、販売者から人数が平等にされた、30人から50人ほどの議員で構成されていた。議員の任期は2年間で、任命した組織の負託や制約を受けていない人物とされていた。評議会には全員出席の総会、事務局、議長が設置されていた。最高機関は評議会に対して、特定の分野の案件について適切な機会に諮問し、また情報を開示する義務を負っていた[11]。ほかの機関が統合されていったなかで2002年まで諮問評議会は独立性を維持し、パリ条約が失効した後は経済社会委員会にその機能が引き継がれた。ただしそれぞれに同じ案件が諮られたときは、独立性を維持しつつも諮問評議会は経済社会評議会と協調していた[14]


注釈

  1. ^ 「共同市場において競争が正常に行われることを阻止・制限・歪曲することを、直接または間接の目的とする企業間の協定、企業団体の決定および通謀行為はすべて禁止される。」
  2. ^ 以下の①②③を満たすことが認可の要件。ときどきの市況にって判断される。更新制の有無は不明。
    ①生産・分配の顕著な改善に貢献すること。
    ②先の改善にカルテルが不可欠であり、改善に不必要なほどに競争を制限しないこと。
    ③価格・販路を統制する決定力がないこと。決定権を外へ移譲したり、共同体内のアウトサイダーに元々競争力があったりするときは要件を満たす。

出典

  1. ^ Falk Illing, Energiepolitik in Deutschland: Die energiepolitischen Maßnahmen der Bundesregierung 1949-2013, Baden-Baden: Nomos. 2012, pp.69-70.
  2. ^ Michael T. Hatch, Politics and Nuclear Power: Energy Policy in Western Europe, Lexington: University Press of Kentucky, p.196.
  3. ^ a b ドイツ経済諮問委員会(いわゆる五賢人委員会)HPの統計資料(2016年1月11日アクセス
  4. ^ a b c 江夏美千穂 『現代の国際カルテル』 日本評論新社 1961年 第4章
  5. ^ Convention on jurisdiction and the enforcement of judgments in civil and commercial matters”. 欧州連合理事会. 2014年11月6日閲覧。
  6. ^ 早坂忠 『ケインズ全集第2巻 平和の経済的帰結』 東洋経済新報社 1977年 178頁
  7. ^ a b c The European Communities” (English). CVCE Centre for European Studies. 2013年8月9日閲覧。 (要Flash Player)
  8. ^ a b Treaty establishing the European Coal and Steel Community, ECSC Treaty” (English). EUポータルサイト "EUROPA". 2008年5月31日閲覧。
  9. ^ Orlow, Dietrich (English). Common Destiny: A Comparative History of the Dutch, French, and German Social Democratic Parties, 1945-1969. Oxford. ISBN 978-1-57181-225-4 
  10. ^ a b Chopra, Hardev Singh (English). De Gaulle and European Unity. New Delhi: Abhinav Publications. ISBN 978-81-7017-012-9 
  11. ^ a b c d e f g h i The Treaties establishing the European Communities” (English). CVCE Centre for European Studies. 2013年8月9日閲覧。 (要Flash Player)
  12. ^ Office of the US High Commissioner for Germany Office of Public Affairs, Public Relations Division, APO 757, US Army, January 1952 "Plans for terminating international authority for the Ruhr" , pp. 61-62 (英語、PDF形式)
  13. ^ Ceremony to mark the expiry of the ECSC Treaty (Brussels, 23 July 2002)” (English). CVCE Centre for European Studies (2002年7月23日). 2013年8月9日閲覧。(要Flash Player)
  14. ^ a b European Economic and Social Committee and ECSC Consultative Committee” (English). CVCE Centre for European Studies. 2013年8月9日閲覧。
  15. ^ The seats of the institutions of the European Union” (English). CVCE Centre for European Studies. 2013年8月9日閲覧。 (要Flash Player)
  16. ^ Members of the High Authority of the European Coal and Steel Community (ECSC)” (English). CVCE Centre for European Studies. 2013年8月9日閲覧。 (要Flash Player)
  17. ^ Negotiations on the ECSC Treaty: Multilateral negotiations” (English). European NAvigator. 2013年8月9日閲覧。 (要Flash Player)
  18. ^ Council of the European Union” (English). CVCE Centre for European Studies. 2013年8月9日閲覧。 (要Flash Player)
  19. ^ Michael T. Hatch, Politics and Nuclear Power: Energy Policy in Western Europe, Lexington: University Press of Kentucky. 1986, p.195.
  20. ^ a b Mathieu, Gilbert (1970年5月9日). “The history of the ECSC: good times and bad” (English). Le Monde, accessed on CVCE. 2013年9月8日閲覧。 (要Flash Player)





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