東山霊山城 遺構

東山霊山城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/27 15:13 UTC 版)

遺構

霊山の山頂を中心に東、西、南の三方向に曲輪が展開し、東側に二箇所、南側に一箇所堀切が確認できる。東側の京都一周トレイルから城址に入ることが可能である。正法寺、高台寺、興正寺、清水寺などの周辺寺院の影響によって遺構の少なくない部分が破壊されたと考えられている[5]。なお、西側の曲輪に「春畝伊藤公遺詩碑」(「春畝伊藤公」とは伊藤博文のこと)という石碑がある。

城跡へのアクセス

参考文献

  • 今谷明『戦国時代の貴族』講談社、2002年。
  • 京都大学考古学研究会「東山霊山城について」『第53とれんち』2012年。
  • 福島克彦「洛中洛外の城館と集落――城郭研究と首都論――」高橋康夫編『中世のなかの「京都」』新人物往来社、2006年。
  • 戦国合戦史研究会編著『戦国合戦大事典 六 京都・兵庫・岡山』P139 - P140、新人物往来社、1989年。
  • 長江正一『人物叢書 三好長慶』P120 - P135、吉川弘文館、1968年(新装版、1989年4月)。ISBN 978-4-642-05154-5
  • 今谷明『戦国三好一族 天下に号令した戦国大名』P169 - P182、洋泉社、2007年。
  • 福島克彦『戦争の日本史11 畿内・近国の戦国合戦』P105 - P108、吉川弘文館、2009年。

関連項目


  1. ^ 「京都府・市町村共同 統合型地図情報システム」京都府公式HP
  2. ^ 「御城」、「御要害」と史料上表記された。
  3. ^ 福島克彦「洛中洛外の城館と集落――城郭研究と首都論――」高橋康夫編『中世のなかの「京都」』新人物往来社、2006年
  4. ^ []内は引用者による注釈。
  5. ^ a b 京都大学考古学研究会「東山霊山城について」『第53とれんち』2012年


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