愛知県立常滑高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 13:23 UTC 版)
設置学科
- 普通科
- 国際理解コース
- セラミックアーツ科
- クリエイティブデザイン科
校訓
- 徹
- 「徹」の精神でやりぬこうという意味が込められている。旧常滑北高校の校訓を引継いだ。
- かつての旧常滑高校の校訓は「責任遂行」・「相互敬愛」・「環境調整」。
校歌
- 愛知県立常滑高等学校校歌
- 作詞:谷川俊太郎・作曲:谷川賢作(俊太郎の長男)[9]
- 常滑高校と常滑北高校が統合した2006年(平成18年)に完成[9]。俊太郎の父である谷川徹三が常滑市出身で、俊太郎自身も常滑市で開催される朗読会に毎年参加するなど常滑市に縁があったため、学校が俊太郎に製作を依頼した[10]。2012年(平成24年)に同窓会によって歌碑が寄贈された[9]。
- 愛知県立常滑高等学校校歌
- 作詞:山崎敏夫・作曲:下総皖一[11]
- 2006年(平成18年)の統合以前の常滑高校の校歌。
- 愛知県常滑陶器学校校歌
- 作詞:井手蕉雨・作曲:早川弥左衛門[12]
- 1930年(昭和5年)10月10日に創定[12]。常滑工業学校の頃まで歌われた[11]。
- 常滑高等女学校生徒歌[13]
教育目標
「ものを創る」ことを通して、豊かな知性と情操、創造性を身に付けた人間。
部活動・学校行事を通して、たくましい身体と強靭な精神や、社会性を身につけた心豊かな人間。
次代の担い手として、生命と健康を守り、良識とモラル向上の推進者としての自覚を持った人間。
正しい勤労観・職業観のもとに、将来の職業人としての誇りが持てる人間。
特色のある行事
遠泳訓練
常滑北高校で1975年(昭和50年)の開校以来行われ、2006年(平成18年)の統合以降も実施されていた[14]。2012年(平成24年)を最後とし、2013年(平成25年)は遠泳に代えて愛知県美浜少年自然の家での「スタディキャンプ」を初の試みとして行った[15]。
7月中旬に知多郡美浜町の小野浦海水浴場で1年生が実施していた[14]。常滑市内のプールでの練習、愛知県美浜少年自然の家での合宿を経て、初級(500 m)、中級(1.5 km)、上級(3 km)に分かれて行われた[14]。
闊歩
常滑北高校で1975年(昭和50年)の開校以来行われ、2006年(平成18年)の統合以降も実施されている[16]。
10月下旬もしくは11月はじめに、1年生が常滑高校と数十キロメートル離れた施設との往復を歩き切るものである[16]。2011年(平成23年)度は知多郡武豊町の名古屋市武豊野外活動センターとの往復約30 kmを歩いた[16]。
- ^ a b c 河村桂道 1933, p. 1.
- ^ 「文部省告示第五十五號」『官報』第3741号、内閣印刷局、273頁、1925年2月13日 。
- ^ 河村桂道 1933, p. 6.
- ^ 「文部省告示第五十號」『官報』第2452号、内閣印刷局、241頁、1935年3月8日 。
- ^ 「告示第三百二號」『愛知県公報』第843号、愛知県、290頁、1935年3月26日。
- ^ a b 愛知県立常滑高等学校百周年記念誌委員会 1997, p. 310.
- ^ 「県立常滑北高校あす晴れの開校式 六学級でスタート 常滑校から普通科が分離独立」『中日新聞』、1975年4月4日。
- ^ a b c d 愛知県立常滑高等学校定時制夜間課程創立30周年記念事業実行委員会 1981, p. 64.
- ^ a b c 出口有紀「常滑高に校歌の歌碑 同窓会「発展の一助に」と寄贈」『中日新聞 朝刊 知多総合』、2012年10月4日、15面。
- ^ 中山敬三「谷川俊太郎さんが校歌 常滑高校に提供 作曲は長男の賢作さんが担当」『中日新聞 朝刊 知多版』、2006年7月7日、20面。
- ^ a b 愛知県立常滑高等学校百周年記念誌委員会 1997, 巻頭.
- ^ a b 河村桂道 1933, 巻頭.
- ^ 愛知県立常滑高等学校百周年記念誌委員会 1997, p. 293.
- ^ a b c 字井章人「雨にも負けず遠泳訓練 美浜で常滑高の320人 声上げ鼓舞 『自信になる』」『中日新聞 朝刊 知多総合』、2008年7月19日、21面。
- ^ 安田功「進路見つめる3日間 常滑高1年生 美浜で「キャンプ」」『中日新聞 朝刊 知多版』、2013年7月17日、14面。
- ^ a b c 福本雅則「励まし合い30キロ踏破 常滑高1年生が闊歩訓練」『中日新聞 朝刊 知多版』、2011年10月22日、18面。
固有名詞の分類
- 愛知県立常滑高等学校のページへのリンク