小林彰太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/21 04:43 UTC 版)
親交
小林は取材活動等を通じて世界各国の著名人と繋がりがあったが、なかでも親交が深かったのは以下の人物たちである。
- 詩人の谷川俊太郎とは、30年近く隣人同士で幼馴染。俊太郎さん、彰太郎さんと呼び合う仲であった。
- 三本和彦とはともにアメリカ軍基地で日本語アルバイトをして以来の親友である。小林はそのバイト代で中古のオースチンを買い、三本は報道用カメラスピード・グラフィックを買った。長年に渡りCGの巻頭コラム『FROM OUTSIDE』の執筆を担当した。
- レーシングドライバーのポール・フレールとは1960年代から交流がはじまり、その後生涯にわたって続いた。またフレールは1967年よりカーグラフィック誌にコラムを掲載している。
- ホンダ創業者の本田宗一郎とは、S500発売時から交流がはじまり、その後生涯にわたって続いた。[2]
著書
- 小林彰太郎の世界(二玄社)
- 小林彰太郎の世界 + 徳大寺有恒との対話(二玄社)
- 天皇の御料車(二玄社)
- On the road―すばらしきクルマの世界(二玄社)
- 長期テスト シトロエンエグザンティアV-SXの全記録(二玄社)
- THE PURSUIT of DREAMS―The First 50 Years of HONDA 独創と挑戦の50年(二玄社)
- HONDA S2000(アクシス)
- 小林彰太郎の日本自動車社会史(2011年 講談社ビーシー/講談社)
- 昭和の日本 自動車見聞録(2013年 トヨタ博物館)
編纂
翻訳
- ミニ・ストーリー―小型車の革命 (ローレンス・ポメロイ著/二玄社)
- いつもクルマがいた―ポール・フレール自叙伝(ポール・フレール著/二玄社)
- ハイスピード・ドライビング (ポール・フレール著/二玄社)
- 新ハイスピード・ドライビング (ポール・フレール著/二玄社)
- ^ a b c 自動車実学に徹したモータージャーナリスト 小林彰太郎, 日本自動車殿堂.
- ^ a b c “小林彰太郎氏 追悼”ホンダ公式ホームページ
- ^ 小林彰太郎『昭和の日本 自動車見聞録』(トヨタ博物館 , 2013年)商品解説より
- ^ 小林彰太郎さん死去 自動車専門誌「カーグラフィック」名誉編集長, J-CAST ニュース, 2013年10月29日.
- ^ a b c d e 小林彰太郎が語る「車への熱き思い」[リンク切れ] Vitalite インタビュー
- ^ 一般社団法人成蹊会
- ^ “「カーグラフィック」名誉編集長・小林氏が死去”. YOMIURI ONLINE. (2013年10月29日). オリジナルの2013年10月29日時点におけるアーカイブ。 2014年10月25日閲覧。
- ^ “【小林彰太郎 お別れの会】”. CAR GRAPHIC公式Facebook (2013年12月19日). 2014年10月15日閲覧。
- ^ a b 松本 葉の自動車を書く人々 第1回 小林彰太郎, 2019.05.31, CarMe.
- ^ 大谷アキオのマッキナ あらモーダ!第375回:小林彰太郎氏はナウかった! 没後1周年寄稿(前編), 2014.11.27, webCG.
- ^ 大谷アキオのマッキナ あらモーダ!第323回:エディター、小林さん、彰ちゃんー 「最後の部下」による小林彰太郎氏の思い出 (前編), 2013.11.21, webCG.
- ^ 『小林彰太郎名作選』のご紹介, 2014.12.01, webCG.
- ^ a b 〈車笛〉「息子から見た小林彰太郎」小林大樹, 2014.04.05, 日刊自動車新聞.
- ^ a b c 第一編集局セオリープロジェクト『あなたの知らない軽井沢 〔セオリー〕2010 vol.4』(講談社, 2010年7月24日刊), 76 - 81頁に所収。
- ^ 松任谷正隆:還暦と放送1300回記念で「カーグラフィックTV」SP企画, 2011.11.05, MANTAN WEB.
- ^ バックナンバー: #1505, 2015.10.25放送, カーグラフィックTV.
- ^ 「AUTOMOBILE COUNCIL 2016」で見かけたビンテージカーたち, 2016.08.12, 価格.comマガジン.
- ^ 多摩川レーサー、最後の凱旋, December 2021, カーグラフィック.
- ^ 現在の表紙タイトルが「CAR GRAPHIC」との英字であるのに対して、創刊時から1969年末までは「CARグラフィック」であった
固有名詞の分類
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