和多田充寿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 14:03 UTC 版)
代表歴
- 兵庫県国体選抜 1993年
- U-20日本代表 1995年
- ユニバーシアード日本代表 1997年
エピソード
- 身体能力が高く、ヴィッセル神戸時代に『スーパーサッカー』の俺キンランキングコーナーに出演した際には、その卓越したスローイン飛距離(47メートル)で話題を集めた。スピードランキングでも132キロで3位にランクイン。
- ジェフユナイテッド市原所属時代にはホームでジュビロ磐田と2-2で引き分けた試合で、和多田はペナルティーキックを2度外した。ジェフの最初のPKを蹴ったのは和多田。PKキッカーに指名されていた和多田はボールを噴かし、ゴールを大きく外す。次に獲得したPKは阿部勇樹が決める。数分後、ジェフが3つ目のPKは監督からのキッカーの指示は阿部だったが、和多田が蹴りセーブされた。[3]
- 2001年浦和レッドダイヤモンズ戦で相手DFの内舘秀樹にスローインをぶつけて警告を受けた。
- 2004年の東京ヴェルディ1969戦では0-0で均衡していた後半30分に三浦知良と交代し、1分後にホージェルからのクロスにヘディングで得点。81分にはアウトにかけた25mのミドルシュートで追加点。和多田の2得点で2-0で勝利を収める。スーパーサブだった2004年は1試合あたりの得点率は2点を超えた。
- 2005年のJ1第5節のヴィッセル神戸と川崎フロンターレの試合では、後半35分に川崎の箕輪義信の腹部をプレーとは関係ないところで蹴り、一発退場となった。
- 2006年に神戸時代のコーチである松田浩が監督を務めるアビスパ福岡に練習参加したが契約にはいたらなかった [1]。
関連項目
- ^ 【新監督紹介】 - 甲南大学体育会サッカー部公式Facebook (2018/02/05)
- ^ “元J1神戸の和多田 女子・日ノ本高監督に就任”. 神戸新聞. (2022年4月2日) 2022年4月2日閲覧。
- ^ “和多田充寿的責任の取り方”. ジェレミー・ウォーカーのA View From A Brit (2002年8月1日). 2012年5月18日閲覧。
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