博覧会国際事務局 日本との関係

博覧会国際事務局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/06 06:36 UTC 版)

日本との関係

大日本帝国は1912年の「国際博覧会に関する条約」に調印したものの同条約は第一次世界大戦に伴い批准に至らず、その後国際博覧会1928年条約にも調印した[1]

その後日本国は1948年の条約改正会議に列席したものの積極的姿勢を見せなかったことから批准に至らず、1964年12月に1970年万国博覧会誘致に向けて国際博覧会条約1928年条約を批准した上で条約に加盟し、翌年2月8日に博覧会国際事務局の一員となった[2]

ただしBIEのサイトでは、日本の加盟日は1928年11月22日(BIE成立日と同日)となっている)。

1968年には日本万国博覧会準備の一環として万国博覧会統一シンボルマークの制定が提案され、「万国博の理念である人間の友愛と進歩を象徴するにふさわしいデザイン」を課題として1969年に公募を行い世界17カ国の応募の中から日本から出品された当時東京教育大学の学生だった松島正矩による「平和」「友愛」「人類の交歓」を意味する円形に「限りない進歩を目指す未来への階段」「向上」を示す矢印を模した横線を合わせ、「空」「海」「世界」「宇宙」を表す青色と「神聖」「平和」「正義」を表す白の配色のデザインが同年11月14日の第66回BIE総会での投票で採択された[3]

なお、これまでに日本で開催された国際博覧会は「国際博覧会」の項目を参照のこと。

ユネスコとの関係

脚注

関連項目

外部リンク

座標: 北緯48度51分57.9秒 東経2度17分42.1秒 / 北緯48.866083度 東経2.295028度 / 48.866083; 2.295028


注釈

  1. ^ 2008年までBIEのホームページ(BIEホームページ アーカイブ フランス語版 Les Expositions :: Fiches Expositions(1931-2005)2005 Aichi-Japon)では、愛知万博については、「International Specialised Exhibition」および「International Registered Exhibition」となっており、2003年(時期不明)から少なくとも2006年6月までは、注釈として「Category included in the Registered International Expositions-Amendment in 1988」とも併記されていた。つまり、1988年採択の「新条約における”登録博”に含まれる」と明記されていた(フランス語では、「Exposition Internationale Spécialisée(Catégorie inclue dans les Expositions Internationale Enregistrées-Amendement de 1988)」と書かれていた)。なお、当時のホームページには、他国における特別博区分に当たる博覧会については「Specialised Exhibition」か「International Exhibition」のいずれかであり、「International Specialised Exhibition」となっていたのは愛知万博のみである。ただし、2003年以降のBIEのホームページでは、上海万博については、大阪万博と同様のカテゴリーの「World Exhibition」として扱われている。なお、2008年までの同ホームページには、筑波万博や沖縄海洋博覧会については、愛知万博と異なり「Specialized Exhibition(特別博)」と書かれていた。ただし、2010年時点のBIEのホームページでは、愛知万博についは「World Exhibition」ではなく「International Registered Exhibition」と書かれ、2011年以降は「Specialised Exhibition」と書かれ、筑波万博や沖縄海洋博覧会と同様のカテゴリーで扱われていた。
  2. ^ 愛知万博からは、開催時期は新条約の5年ごとのルールが適用され、2005年開催となった。1997年6月のBIE総会で各国代表の投票により、日本・カナダ両国で2005年の開催権を争い、日本・愛知が多数を獲得し、2000年に総会で開催承認され「国際特別博」(新条約における登録博に含む)として登録された。なお、新条約の発効後も、閉幕後もBIEの位置づけ上、「特別博」の区分となったままであった。理由は、開催申請料も旧特別博区分の支払いのみとなっていたためで、追納金を支払い、2019年のBIE総会で、本来の区分である「登録博」として、事後承認(修正)された。その結果「愛知万博」は、1972年条約(旧条約)の「特別博」(ただし、特例で旧条約の「国際博」という区分にも含まれている)で申請し、1988年条約(新条約)の「登録博」という新・旧の条約をまたにかける珍しい国際博覧会となった。詳細は、「2005年日本国際博覧会」の2005年日本国際博覧会の位置付けと国際的な評価の節を参照

出典

  1. ^ [1] - 外務省外交史料館
  2. ^ 日本万国博覧会公式記録第1巻 総説 開催決定まで - 日本万国博覧会記念協会(1972年)
  3. ^ 日本万国博覧会公式記録第1巻 総説 テーマ - 日本万国博覧会記念協会(1972年)


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