北海道中央バス 運賃形態

北海道中央バス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/08/15 01:49 UTC 版)

運賃形態

各ターミナルでは乗車券を発売する

2014年(平成26年)4月1日現在[82][83][84]

  • 対キロ運賃初乗り:190円
  • 小樽市内均一区間:220円
  • 札幌市内特殊区間:1区210円、2区240円

札幌市内では札幌市交通局札幌市営地下鉄)との連絡運輸乗継割引)が設定されており、指定路線の指定駅最寄り停留所で乗り継ぐとバス運賃が20円、地下鉄運賃が60円(一部80円)割引となる[85]。バス事業者は札幌市に対し、利用者減少や燃料費高騰を理由にバス分の割引解消を申し入れている[86]

同じく札幌市内では「都心内100円バス」として、指定路線の指定区間で現金支払いに限り運賃を100円とする[87]。開始当初は札幌市が主体であったが各事業者主体となって継続している[88]

乗車カード

詳細は各記事を参照。

貸切バス

貸切バス事業は2000年(平成12年)に新たに設立した中央観光バスへ観光貸切の多くを譲渡したが、2004年(平成16年)に札幌第一観光バスへ吸収合併されている。グループ会社を含め貸切手配センターで共同受注を行っており、中央バス本体は2011年(平成23年)3月現在で30台保有し営業を行う[2]

1949年(昭和24年)10月6日の免許時は小樽市・札幌市・後志石狩胆振各支庁管内であった[92]が徐々に拡張され、札幌運輸支局管内全域、室蘭運輸支局管内のうち勇払郡を除く胆振地方、旭川運輸支局管内のうち旭川市深川市富良野市空知郡旧石狩国の上川郡函館運輸支局管内のうち函館市北斗市亀田郡山越郡での発着が認められていた。2014年(平成26年)現在は、優良事業者に限定した営業区域の拡大施策[93]により北海道全域となっている[94]

1981年(昭和56年)9月5日に帯広営業所(空知事業部)が開設され[95]1990年(平成2年)2月13日より帯広運輸支局管内でも営業していた[92]。後に廃止され事業域からも外されている。

車両

使用バス

混乱期の特殊車両

発足時はガソリン統制により燃料確保が困難であったため「木炭バス(代燃車)」が活躍。冷えたガス発生装置に木炭などを入れガスを発生させるにはかなりの時間がかかり、始発の2・3時間前から準備する必要があった。平地では満員でも60 kmくらいの速度が出たが、馬力が弱いため上り坂ではスピードが落ち、しまいにエンストする始末であった。ガス欠することもあり、燃料を継ぎ足すのだが一旦止まった送風機を起こすハンドル回しが女性車掌には重労働で、乗客が手伝う場面もあった。薪を焚いて走るバスも使われたが、木炭と比較しガス発生量が少ない、薪の乾燥・保管に手間がかかるなどの理由で間もなく使われなくなった。戦後ガソリンが出回るようになって役割を終え、1950年(昭和25年)頃には完全に姿を消した[96]。中央バス創立50周年を記念して復元製作された代燃車については別節に記述する。

終戦後の一時期、トラックの荷台をテント状態にし、三方シートを設けたもの。乗客は梯子を使っての乗降で、明かり取り窓には破損防止に木や鉄の棒がはめ込まれており、囚人護送車に酷似していることから「囚人護送車型バス」というニックネームのついた。1、2年程度で姿を消している[97]

米軍払い下げの軍用車を改造した「アンヒビアンバス」は1947年(昭和22年)に4台入った。六輪全駆動でチェンジレバーの位置が左肩越し後ろ手にあるなど大変運転し辛い車であった。まだガソリン統制が続いていたがこの車については特別配給が行われ、催事輸送や小樽市内線のラッシュ時間帯で使われた。馬力は大変強力だが普通のバスより2倍以上の燃料を消費するなど経済車とは言えず、バスとしての役割を終えてからは、その馬力を活かし除雪車として利用され、1955年(昭和30年)頃までに姿を消した[98]

1948年(昭和23年)頃に2台登場した「トレーラーバス」は、トレーラーの名の如く運転車と客車が別々で、客車の乗降口は前後2箇所にあり車掌は2名乗務であった。三方シートの座席定員は91名、すし詰めでは110名程度と大量輸送ができることから催事輸送や乗客の多い石狩線のラッシュ時に運用され、修学旅行でも使用された。長さのあるこのバスは道路状況が悪い当時は狭い交差点で立往生することもあり、使用路線が限定されることから数年で姿を消した[99]

札幌整備工場で1955年(昭和30年)頃に製作された「バチぞりバス」は珍しい雪上バスで、バチは山で切り出した丸太を運び出すためのソリの一種で、これに幌を付け石狩と花畔の間を運行。払い下げられた九五式軽戦車でけん引したが、雪が深いためキャタピラが滑って空転するのが悩みの種であった。当時は除雪体制未整備のため特に地方路線は冬期運休となっていた中、有料バスとして乗客を運ぶ珍しい例として当局関係者が視察に訪れている[100]

上記のほかにも、廃車や軍から払い下げられたトラックやなどを改造しバスに転用した「更生車(改造バス)」が作られ、自動車メーカーの新車が出回るようになり姿を消している[101]

ディーゼル車へ

戦後、本格的にバスの製造が開始された。中央バスに初めて国産ガソリン車が入ったのは1946年(昭和21年)頃だが、ガソリン統制が解除されていないため代燃車に改造された。ディーゼル車が入ったのは1948年(昭和23年)で、いすゞ自動車のBX91型2台が小樽に配置された。初期のディーゼル車はエンジン音が大きいのが難点だったが、馬力の強さ、軽油使用による経済性から比率が高まり、ガソリン車は姿を消していった[102]

ボンネットバスに変わり1951年(昭和26年)頃から出回った箱型バスは、エンジンの振動などが伝わりにくいリアエンジン型を1951年(昭和26年)に導入。民生デイゼル工業BR32型2台が貸切バスとして小樽に配置された。エンジンが車体中央に置かれたアンダーフロア型は昭和30年代前半までに33台導入されたが、次第にリアエンジン型が主流となり姿を消した。エンジンが運転席左側下部に置かれたキャブオーバー型も導入されていた[103]

乗り心地の改善

乗り心地の改善も図られ、1958年(昭和33年)に空気バネのいすゞBA-34PAを試験的に1台導入し札樽線で運行された。従来の板バネと比べて振動が柔らかくふわふわした乗り心地で「空をゆく乗り心地」のキャッチフレーズが使われた。当時は大きな横揺れがあるため船酔い状態になる人もいたが、様々な改良により改善されている。市内路線車には1982年(昭和57年)秋から導入された[104]

1966年(昭和41年)に導入された三菱MAR420の7台と日野RC100Pの10台よりリクライニングシート車が導入された。初期のものは3段階スライド型であったが、改良後はフリーストップ型となっている[105]

高速化、デラックス化

1984年7月に導入されたスーパーハイデッカー・高速カラー初採用車

1975年(昭和50年)に日野RV730Pを1台、翌年に日航線用として同型車と三菱MS513Nを計24台導入したが、これは以後の高速道路開通などを見据えて高速走行に耐えうる車両として導入されたものである[105]

客室にタイヤ部分の出っ張りがなく、座席が運転席より高いハイデッカー車が導入されたのは1979年(昭和54年)で、日野RV561Pが貸切用に49台、日航線用に41台。翌年にも貸切車36台が導入され、2年間で126台にのぼるハイデッカー車を一気に導入したのは全国的にもあまり例がないものであった。貸切や後に本格化する都市間高速バスはハイデッカー車が主流で、1994年(平成6年)6月時点でのハイデッカー車は全車両数の3分の1を占めている[106]

利用客の豪華嗜好に応えたスーパーハイデッカー車は1984年(昭和59年)7月に高速むろらん号向けに導入されたニッサンディーゼルP-DA66U三軸車の5台が最初。以降も高速用、貸切用で導入され、1987年(昭和62年)にはスターライト釧路号向けとして、横3列座席や乗務員仮眠室を装備した夜行バス仕様車が導入された[107]

低床バス

1999年製のノンステップバス

一般路線バスで床を低くし乗り降りし易くした低床バスは、1972年(昭和47年)に日野RE-140を4台導入したのが最初である。1980年(昭和55年)までに45台導入されたが、雪の多い北海道では走行性に難があったため札幌市内の限定路線のみで運用された[108]

しかし高齢化社会の到来に向けて低床バスは必要不可欠であったことから、従来車よりもっと低くし偏平タイヤとした車両を1991年(平成3年)に8台試験導入し運行を行った。心配された雪道も除雪体制向上により問題なく、利用客からも好評であったため、1994年(平成6年)よりいすゞU-LV224Mなどが本格的に導入されている[108]

2011年(平成23年)3月現在、ノンステップバスまたはワンステップバス交通バリアフリー適合車は397台で、路線車の3割を占めている[4]

その他の特徴的なバス

再登録された2階建てバス

1982年(昭和57年)、ネオプラン2階建てバスを2台導入。一度に76名を運べ、同年6月12日から開催された北海道博覧会の観客輸送で運用され好評を得た。その後は国産三菱ふそう製も含めて計7台が導入され、高速バスや貸切バスとして運用された。1994年(平成6年)5月時点では定期観光バス用として2台が残っていた[109]。2006年(平成18年)には保存されていた1台が再登録され札幌市内定期観光バスで運用されたが、老朽化のため2014年(平成26年)3月31日をもって運行を終了した[110]

千歳空港空港ターミナルビル駐機場を結ぶ「ランプバス」として、1991年(平成3年)5月に日野U-HU2MPAAが2台導入された。随所に手荷物置場を設け、前半分は通路を広くとるため向かい合わせの座席とするなどランプバス運用に特化した仕様であったが、1992年(平成4年)7月1日新千歳空港開港以降はランプバスとしての運用が激減したため、空港内循環バスおよび空港 - ホテル日航千歳間の送迎バスとして運用された[111]

まき太郎

 
代燃車「まき太郎」
カマ

創立50周年記念事業の一環として、戦中戦後のガソリン統制時に活躍し、バス発展の過程で重要な役割を果たした代燃車「薪バス」を自走可能な状態で復元することとした[112]

復元するにしても40年以上昔の車で、当時の資料はほとんど残っておらず手探り状態で準備を開始した。まずボディーのベースとなる1968年(昭和43年)式トヨタ・DB100を確保。エンジンと各パーツは消防車2台と1964年(昭和39年)式のトヨタトラックから調達。4台の車の合成ということになる[113]

車体は札幌整備工場が担当。車体の形状、内外装、三方式シート、腕木式方向指示器、ライトなど忠実に復元した。中でもフェンダーボンネットバスの特徴である丸みを出すのが難しく、ほとんど手作業で仕上げた[114]

ガス発生装置(カマ)は空知整備工場が担当。設計図などがない状態で、担当者が参考にと神奈川中央交通が保有する薪バス「三太号」を視察した。薪バス復元のニュースが全国的に知れ渡ると、一般や自動車メーカーから資料提供などの協力を得ることができた。これらの情報や資料を基に図面を起こして製作に入り、1992年(平成4年)6月18日に完成。翌19日に火入れ式が行われ、薪のガスに火がついた時には歓声が沸き起こった[115]

同年9月8日、7箇月を要した復元作業のすべてが完了し、「まき太郎」と名付けられた。9月12日に札幌整備工場で入魂式が行われ、9月20日バスの日大通公園で一般向け展示が行われた[116]

行事参加のため一時的に取得する仮ナンバーでは運用に制約があるため正式な登録ナンバーを取得することになった。ベースが古い車のため書類を集めるのに四苦八苦したが、当局の指導により事前書類審査を通過。1993年(平成5年)2月25日に札幌陸運支局へ持ち込み、百項目以上の検査、薪燃料によるエンジンテストなど長時間に渡る検査を無事通過し自家用ナンバーを取得した[117]

まき太郎は公共イベントなどに無料貸し出しが行われており[118]、将来は動態保存されることが決まっている[119]

車両概要[120]
車種:トヨタ
型式:DB10改
年式:1968年(昭和43年)12月
全長:8.02 m
全幅:2.45 m
全高:2.87 m
車両重量:5,290 kg
乗車定員:22名
排気量:3,870 cc
燃料:薪(ガソリン用の補助燃料タンクも装備)
最大貯薪量:45 kg
薪消費率:1.3 km / kg
最高速度:60 km / h
1回貯薪走行可能距離:60 km

車体カラー

発足当初の車両は寄せ集め状態であったため塗装も黒色、銀色、紺色など様々であったが、戦後の混迷から立ち直った昭和20年代末期に統一カラーが設定された[121]

赤白カラー

1954年(昭和29年)3月1日に決められた赤白カラーは、色彩を赤色と白色の2色に統一し、前面は「北」の文字を模したデザインとした。貸切バスと高速バスは昭和50年代に変更されたが、一般路線車では1992年(平成4年)春の導入車まで採用された[121]

ハイデッカーカラー

1978年(昭和53年)にハイデッカー車の導入が決まったが、この車体に赤白カラーはそぐわないことからデザインを変更することになった。数十点の中から白地にワインレッドとグレーの太いラインを入れたハイデッカーカラーが決められ、1979年(昭和54年)春に導入されたハイデッカー車から採用された[121]

高速カラー

1984年(昭和59年)4月25日に運行を開始した高速むろらん号へのスーパーハイデッカー車導入に伴い、特別車としてのイメージをアピールするため、ハイデッカーカラーで使用するワインレッドとグレーはそのままに、車体後輪付近から立ち上げてスピード感と飛躍を目指すデザインとした。高速カラーとして同年7月より採用された[122]

一般路線車カラー

一般路線車では赤白カラーが引き続き採用されていたが、創立50周年を機にデザインを一新することとし、中央バスグループ社員および家族を対象にした公募が行われた。他と同様に白地にワインレッドとグレーを組み合わせたデザインが決定し、1992年(平成4年)秋の導入車から採用された[122]

その他のカラー

標準カラー以外に、企業契約カラーや観光路線用の特殊デザインなどが導入される[123]


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注釈

  1. ^ 後志管内では、函館乗合自動車渡島檜山)や道南乗合自動車胆振日高)へ統合された事業者もあり、支庁区域と統合区域は必ずしも一致しない。
  2. ^ 『東急外史 顔に歴史あり』(沿線新聞社 1982年)第十二話によると、小佐野賢治が北海道交通社長の柴野安三郎と結託して、共同で買い占めにかかっていたとある。柴野は東急に加担したことを周囲から非難されて途中で持株を売却して買い占め戦から降りてしまい、この結果乗っ取り戦は東急側の失敗に終わった。小佐野は手持ちの中央バス株を五島に買い取り請求したが、拒否されたとある。
  3. ^ 『五十年史』 pp. 173 - 174では10社(1994年6月現在)だが、1996年4月と2007年4月に開始した2社を含めた。

出典

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  2. ^ a b c d e 会社概要”. 北海道中央バス. 2014年4月2日閲覧。
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  6. ^ 『二十五年史』 pp. 26 - 30
  7. ^ 『二十五年史』 p. 30
  8. ^ 『二十五年史』 pp. 36 - 37
  9. ^ 『二十五年史』 p. 68
  10. ^ a b c d 『二十五年史』 p. 67
  11. ^ 『二十五年史』 p. 66
  12. ^ 『二十五年史』 pp. 37 - 38
  13. ^ a b 『二十五年史』 p. 39
  14. ^ 『二十五年史』 p. 36
  15. ^ 『二十五年史』 pp. 40 - 41
  16. ^ a b 『二十五年史』 pp. 40 - 41
  17. ^ 北海道のバス事業の歴史 第4章 - 歴史的な大統合 地区別統合会社”. 北海道バス協会. 2012年3月6日閲覧。
  18. ^ 『二十五年史』 pp. 43 - 44
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  20. ^ 『二十五年史』 p. 45
  21. ^ 『二十五年史』 pp. 45 - 46
  22. ^ 『二十五年史』 p. 46
  23. ^ a b 『二十五年史』 p. 47
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  25. ^ 『二十五年史』 pp. 49 - 50
  26. ^ 『二十五年史』 pp. 50 - 51
  27. ^ 『二十五年史』 p. 51
  28. ^ 『二十五年史』 pp. 51 - 52
  29. ^ 『二十五年史』 p. 52
  30. ^ 『二十五年史』 pp. 52 - 53
  31. ^ 『二十五年史』 p. 53
  32. ^ a b 『二十五年史』 p. 54
  33. ^ 『二十五年史』 pp. 75 - 80
  34. ^ 『二十五年史』 pp. 82 - 85
  35. ^ 『二十五年史』 p. 85
  36. ^ 『四十年史』 p. 84
  37. ^ 『五十年史』 p. 74
  38. ^ 『五十年史』 p. 75
  39. ^ 『五十年史』 pp. 75 - 76
  40. ^ 『五十年史』 p. 76
  41. ^ 『五十年史』 pp. 76 - 77
  42. ^ 『五十年史』 p. 77
  43. ^ 『五十年史』 p. 78
  44. ^ 『五十年史』 pp. 78 - 79
  45. ^ a b 『二十五年史』 p. 166
  46. ^ 『二十五年史』 p. 167
  47. ^ a b 『五十年史』 p. 80
  48. ^ 『二十五年史』 pp. 167 - 168
  49. ^ 『五十年史』 pp. 80 - 81
  50. ^ 『五十年史』 p. 88
  51. ^ 『二十五年史』 pp. 175 - 176
  52. ^ 『五十年史』 p. 89
  53. ^ 『五十年史』 pp. 94 - 95
  54. ^ 『五十年史』 p. 95
  55. ^ 『五十年史』 pp. 95 - 96
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  123. ^ 『五十年史』 pp. 223 - 227
  124. ^ 『四十年史』 pp. 347 - 348
  125. ^ 『五十年史』 p. 520







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