上野氏 豊後上野氏

上野氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/02 03:36 UTC 版)

豊後上野氏

家紋は丸に二引両とされ、足利一門上野氏の三代 上野頼兼の次男 上野直兼を祖とする豊後上野氏は、尊氏の腹心として九州下向に随従、上野氏一門の中で唯一九州に留まり、孫の上野氏繁の代に豊後守護大友氏の傘下に入る。代々、大友氏の当主より偏諱がなされ、上野繁兼、上野繁信は大友親繁の偏諱を、上野治信は大友親治より偏諱を、上野鎮信、上野鎮基親子及び鎮信の弟 上野鎮政は、主君大友義鎮(後の大友宗麟)より偏諱を受けている。

鎮信は大友宗麟に家政に関して諫言したものの聞き入れられず、一族は大友氏を離れ、龍造寺氏の家臣になった家系、帰農し庄屋として存続した家系とにわかれて存続した。異説としては、上記の大神氏流ともいわれる[要出典]

豊後上野氏系譜

  • 足利泰氏上野義弁―上野頼遠―上野頼兼―上野直兼(豊後上野氏の祖)―上野兼氏―上野氏繁(豊後守護・大友氏の家臣となる)―上野繁兼―上野繁信―上野治信―上野鎮信―上野鎮基

  1. ^ 太田 1934, p. 724.
  2. ^ 備中兵乱記には、「永正六年六月源義稙、天下の国主を召され、年来の軍忠を揚げられ忠賞を行われる、累年の軍労を休息致され、向後は国主にすえ置かれ、国主の仕置を探題し、地頭の行跡上聞に達せられるべしと評定あり。その節、備中の国は雲州の塩治、尼子の旗下も有り、四国の細川、三好の旗下も有り、播州の赤松旗下も有る故に国乱す。御近侍二階堂政行、上野民部大輔、伊勢左京亮備中へ差し越され、国侍を御身方に引き入れ候様にとの上意にて、上野民部大輔は下道郡下原郷鬼邑山に在城、伊勢左京亮貞信は小田郡江原村高越山に在城、二階堂政行は浅口郡片島に在城、近郷の地頭を冠職として在城、国中に制札を立て貧民に財を扶助し貧者を愛し孤独を禁ず。これ故に国民親付する事父母の如し」とある。
  3. ^ 毛利家文書によれば、「永禄三年(1560年)二月十五日、幕府奉行衆上野民部大輔信孝及び佐々木民部少輔稙綱、毛利右馬頭元就と毛利備中守隆元へ足利義輝入洛につき御内書が下される旨及び御忠節之御覚悟が専一の旨通達。二月二十日、足利義輝、毛利隆元へ正親町天皇御即位費用馳走の褒美として正親町天皇より大膳大夫官途之儀通達の旨詳細は上野信孝より伝達。八月八日、上野民部大輔信孝、毛利陸奥守元就へ足利義輝への別而万端御馳走に対する褒美として錦直垂御免事につき御面目之至無比類題目の旨通達。十二月八日、足利義輝、毛利陸奥守元就と毛利大膳大夫隆元へ連々可致忠節の褒美として相伴衆に列する旨詳細は聖護院門跡と上野信孝より伝達。永禄四年(1561年)八月八日、足利義輝、毛利陸奥守元就へ相伴衆に列せられたことによる礼贈物の返しとして絵二幅及び盆一枚送付の旨詳細は上野信孝より伝達。(抄)」とある。
  4. ^ 言継卿記によれば、「永禄十一年(1568年)十月二十日、山科言継、足利義昭へ祗候。一色式部少輔や上野中務大輔らへ知行分につき取り合わせを依頼。永禄十三年(1570年)三月三日、山科言継、三条公仲を伴って足利義昭へ祗候。御礼被参之輩は、先ず御供衆、御部屋衆、申次衆、諸大名、次に公家衆。御供衆は細川右馬頭、大館左衛門佐、大館伊与守、一色式部少輔、畠山播磨守、上野中務大輔、伊勢三郎、松永久通ら。(抄)」また、多聞院日記によれば、「永禄十二年(1569年)八月十一日、上野中務、足利義昭に遣わされて大和国春日神社へ代参。(抄)」とある。
  5. ^ 中国太平記によれば、「大松山には上野伊豆守居住して小松山の城には同右衛門尉を置かれける所に、天文二年猿掛の城主庄為資押し寄せて相戦う。庄は当国の旗頭たるにより、植木下野守秀長、庄に力を合わせ横谷より攻め掛け、上野の勢を追い崩し伊豆守を討ち取り、大松山を乗取る。小松山の上野右衛門尉も植木が一族若林二郎右衛門に討たれし」とある。
  6. ^ 撮要録巻二十八寺社部によれば、「備中浅原牛頭(こず)天王棟札に、永正十六年林鐘(六月)三日奉改地再興也、領主上野四郎次郎高直」とある。
  7. ^ a b 寛政譜 1923, p. 342.
  8. ^ 寛政譜 1923, p. 343.
  9. ^ 寛政譜 1923, pp. 342–343.


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