三国志 (吉川英治)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 00:38 UTC 版)
作品の特徴
吉川流の味付け
吉川は「序」で
三国志には詩がある。(中略)三国志から詩を除いてしまったら、世界的といわれる大構想の価値もよほど無味乾燥なものとなろう。故に、三国志は、強いて簡略にしたり抄訳したものでは、大事な詩味も逸してしまうし、もっと重要な人の胸底を搏つものを失くしてしまう惧れがある。で私は簡訳や抄略を敢てせずに、(中略)主要人物などには、自分の解釈や創意をも加えて書いた。
と記しており、原作や訳書にこだわらずに、吉川英治流の味付けで日本人向けに物語を描くことを宣言している。
『演義』冒頭第1回の劉備・関羽・張飛三人による桃園の誓いも、原作ではあっさりと三人が意気投合してすぐさま義兄弟となるのに対し、悩む青年劉備と黄巾賊にさらわれた美女鴻芙蓉との恋心、怪力の兵卒張飛、学童師匠の関羽と劉備の賢母との交流など、大胆な改編を行って三兄弟の人物造形を読者に強烈に印象づけている。実際に三人が義兄弟の盟を結ぶのは、第1巻が半分ほど過ぎてからである。冒頭の三兄弟に関しては完全に吉川独自の物語となっている。
また、それまでは悪者として捉えられていた曹操を人間的な魅力を増して描き、単なる敵役ではない人物としての存在感を与えた[5]。本作における曹操は、関羽や趙雲など優れた才を持つ武将を恋慕し、痛烈な敗戦に焦慮する一方、詩情鮮やかに賦を詠む、実に豊かな人間性を持った人物として描かれている。篇外余録で吉川は「曹操は詩人、孔明は文豪」との評を下している。中国に較べ、日本に曹操ファンが多いのも本作の影響が大きい[6]。
一方、原作の『演義』にしばしば現れる妖術・魔術などの超人的な描写は排除している。黄巾軍の張宝が使う妖術は地形や天候によるものだと劉備に説明させ、孫策の晩年を脅かした于吉仙人や曹操を悩ませた左慈などは幻覚のもたらす錯覚として描く。麒麟や鳳凰出現などの瑞兆も「遠い地方に現れたのではなく、これら重臣たちの額と額の間から出たものらしく思われる」と片付けている[7]。三国志最大の見せ場となる赤壁の戦いの重要なキーワードとなる「東南の風」も、原作では孔明が道士服を着て祈ることで吹くことになっているが、本作では毎年この季節に1,2日だけ吹く貿易風の存在を孔明が予測していたとしている。
また劉安が自分の妻を殺して、劉備に肉を提供したエピソードなど日本人の感情では理解しづらいと考えた箇所については、物語中に「読者へ」と語りかける欄を設け、「削除しようとも考えたが、あえて彼我の民情の相違を読み知ることができ、日本における鉢木の佐野源左衛門と最明寺時頼のエピソードと同様である」と読者に直接解説している。
なお『演義』は全120回で、魏・呉・蜀三国が晋に統一されるまでを描くが、諸葛孔明を後半最大の主人公と位置づけた吉川は、孔明の死(第104回)以後の物語は甚だ興趣に劣るために省略し、後書きともいえる篇外余録でわずかにあらすじをなぞるのみとし、最後は三国は、晋一国となった、と締められる。
張郃が作品中3度も戦死していたり、士孫瑞の名を誤って「孫瑞」、路昭を「露昭」と表記するなどの間違いも散見される。また夏侯惇の読み仮名は「かこうじゅん」と振られているが、これは当時までの演義作品でも「じゅん」と読まれていた名残である。
吉川の伝記を書いた尾崎秀樹は「吉川『三国志』はあらたな日本版の『演義』でもある」と評している[8]。
篇外余録:吉川自身による解説
諸葛亮の死で物語全体は終結するが、その後で作者自身による解説ともいうべき篇外余録が記されている。諸葛孔明への位置づけや日本人の孔明に対する思いを自由に綴った『諸葛菜』、孔明死後の動向をあらすじでまとめた『後蜀三十年』『魏から―晋まで』がある。
この中で吉川は「ひと口にいえば、三国志は曹操に始まって孔明に終わる二大英傑の成敗争奪の跡を叙したものというもさしつかえない」と喝破した。読者の中にはそれまで劉備・関羽・張飛らを主人公と考えていた者も多く、この指摘に面食らう向きもあったが、概ねこの吉川の主張は受け入れられている[9]。
- ^ 吉川『三国志 序』より。
- ^ a b 雑喉2002、140頁。
- ^ 立命館大学中国文学専攻HP内三国志の世界『通俗三国志』
- ^ 小川環樹『中国小説史の研究』(岩波書店、1968年)。P169-171.
- ^ 雑喉2002、144-148頁。
- ^ 雑喉2002、153-154頁。
- ^ 雑喉2002、150-152頁。
- ^ 雑喉2002、141頁。
- ^ 高島俊男『水滸伝の世界』(大修館書店、1987年 ISBN 4-46-9230448)87-88頁、ちくま文庫で再刊。渡邉『三国志』、まえがき ii-iii頁、(中公新書、2011年)など。
- ^ たとえば高島2000、51頁など。
- ^ 雑喉2002、206-207頁。
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