一般意味論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/11 04:22 UTC 版)
批判
マーティン・ガードナーは、科学的手法によって独断的信念を確率に置き換えて判断を引き伸ばすという一般意味論のルールを一般意味論自体が破っていると提起しているように思われる。ガードナーはコージブスキーについて「アリストテレス的習慣と彼が呼ぶものを糾弾することに飽き足らないが、そのアリストテレス的といっているものはギリシャ人哲学者の思考方法とは何の関係も無い実体の無いものであった」と書いている。
非科学的性質の告発に対して、ブルース・コディッシュやケネス・G・ジョンソンのような一般意味論学者はコージブスキーの主張を支持する(と彼らが考える)科学的研究をいくつも指摘した。
マーティン・ガードナーらは「一般意味論の最終的な評論」としてマックス・ブラックのLanguage and Philosophy(言語と哲学)というエッセイを引用する。しかし、Kodishらはブラックの批判は『科学と正気』を誤解したことから生じていると主張している。
ノーム・チョムスキーは、コージブスキーの業績は「ほとんど生き残らない。何故なら重大な混乱に基づいているから」と言った。
人々の発言が知覚に影響を与えるということはコージブスキーに言われるまでもない。また、言語表現と現実の混同という問題ではなく、単に他人の意見に影響されるだけのことで、全く自然なことだ
チョムスキーはコージブスキーが動詞 "to be" を批判していること(be動詞を含む主張には言語構造上の混乱があり、深刻な過ちを引き起こす)にもコメントし、コージブスキーが考えを変えたように見えるとした(「地図は現地ではない」"the map is not the territory" というコージブスキーの言葉は同一性の否定("is not")であり、同一性の肯定("is")とは反対の神経言語効果を持つ。すなわちbe動詞の神経言語効果をコージブスキーが認めているように見える)。チョムスキーは言う。
人の発言は注意しなければ誤解を招くかもしれない。コージブスキーが言っていることはつまりそれだけだ。60年前、学生時代にそう結論付けた。コージブスキーの著書をいろいろ読んだが、重大な発見は何も無かった。神経言語効果についても、当時は何も分かっていなかったし、現在ではコージブスキーの言っていたことはほとんど正しくないことが分かっている
チョムスキーは行動主義に一貫して反対の立場だが、コージブスキーが行動主義に信用を与えていることにも批判的であった。アナーキストでもあるチョムスキーはbe動詞の使用による誤解よりも社会権力の集中を問題にした。何故なら、そのような組織は特定の観点を押し付ける手段を持っていて、知覚に影響を与えるからである。権力は権力にへつらう人々を生むだけでなく、科学を利用することで大量破壊をもたらし、種を危険にさらす(核爆弾や短期的利益のために汚染や破壊をもたらす技術など)とチョムスキーは考えている。
しかし、コージブスキーが「神経言語学」と呼んだ観点は、20世紀初期の神経学者 Russell Meyers や C. Judson Herrick に受け入れられた。行動主義の科学者 W. Horsley Gantt も同様で、コージブスキーの条件反射に関する議論を「深く、正確」であると評した。コージブスキーは批判者が彼の言ったこととその解説を混同していると感じていた。彼はEプライム(be動詞を省いた人工的な英語)で次のように言っている。私は、私が言ったことを言った。私が言っていないことは、私は言っていない。("I said what I said. I did not say what I did not say.")ただしこの日本語訳は「は」と「が」を使い分けることにより、まともな文に見えてしまうようになっている。原文にはそのようなニュアンスは無い。
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