リベロ・リベラーティ リベロ・リベラーティの概要

リベロ・リベラーティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/12 04:08 UTC 版)

リベロ・リベラーティ
グランプリでの経歴
国籍 イタリア
活動期間 1953, 1955 - 1957, 1959
チーム ジレラモリーニ
レース数 15
チャンピオン 500cc - 1957
優勝回数 6
表彰台回数 14
通算獲得ポイント 81
ポールポジション回数 N/A
ファステストラップ回数 N/A
初グランプリ 1953 500cc イタリア
初勝利 1956 350cc イタリア
最終勝利 1957 500cc イタリア
最終グランプリ 1959 250cc 西ドイツ
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経歴

テルニで生れたリベラーティは、1948年には国内チャンピオンとなってイタリアで名を知られるようになった。2年後の1951年モト・グッツィからのオファーでロードレース世界選手権の500ccクラスを1レース走った後、その年の残りのレースからはジレラで走った。

1953年、リベラーティは世界選手権で初めてポイントを獲得する。そして1956年には350ccクラスでグランプリ初勝利を記録したリベラーティは1957年、4勝を挙げて500ccクラスチャンピオンとなった。この年には350ccクラスでも1勝を挙げ、ランキング2位となっている。

ところがタイトルを獲ったこの年の終わりに、ジレラはワークス活動を撤退することを発表する。マシンを失ったリベラーティは2年後、モト・モリーニのマシンで250ccクラスに復帰するが、再び勝利を挙げることはできなかった。

1962年、故郷の近くの公道でテスト中に濡れた鉄道の線路に足を取られてクラッシュ、致命傷を負って帰らぬ人となった[1]

ロードレース世界選手権での戦績[2]

  • 凡例
  • イタリック体のレースはファステストラップを記録。
クラス マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 ポイント 順位 勝利数
1953 500cc ジレラ IOM
-
NED
-
BEL
-
GER
-
FRA
-
ULS
-
SUI
-
ITA
3
SPA
-
4 12位 0
1955 500cc ジレラ SPA
-
FRA
2
IOM
-
GER
-
BEL
-
NED
-
ULS
-
ITA
-
6 7位 0
1956 350cc ジレラ IOM
-
NED
-
BEL
-
GER
-
ULS
-
ITA
1
8 7位 1
500cc ジレラ IOM
-
NED
-
BEL
-
GER
-
ULS
-
ITA
2
6 8位 0
1957 350cc ジレラ GER
1
IOM
-
NED
3
BEL
2
ULS
3
ITA
3
22 2位 1
500cc ジレラ GER
1
IOM
-
NED
2
BEL
1
ULS
1
ITA
1
32 1位 4
1959 250cc モト・モリーニ IOM
-
GER
4
NED
-
BEL
-
SWE
-
ULS
-
ITA
-
3 12位 0

  1. ^ マイケル・スコット『The 500cc World Champions』(ウィック・ビジュアル・ビューロウ)ISBN 978-4-900843-53-0 p41 - p43
  2. ^ Libero Liberati The Official MotoGP Website


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