ボストン・ラテン・スクール 運動

ボストン・ラテン・スクール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/28 14:57 UTC 版)

運動

ボストン・ラテン・スクールの運動チームはボストン・ラテン・ウルフパックと呼ばれており、その色は紫と白である。1887年以来毎年感謝祭の日にボストン・イングリッシュ高校(English High School of Boston)とアメリカンフットボールの対校戦を開いており[17]、アメリカ合衆国の中でも最古の継続する対校戦となっている[18]。歴史的に男女ともアイスホッケーバレーボールは成績が良かった。しかし優位に立っていたボストン公立学校リーグのディビジョンVを離れて以来、タイトルを取ることが稀になってきた。現在はディビジョンIIのデュアル・カウンティ・リーグで、設備が良く予算の豊富な郊外の学校と競っている。1995年、女子サッカー・チームが11年ぶりに勝利を収めた。女子アイスホッケー・チームは2001年ディビジョンIの州チャンピオンとなり、デュアル・カウンティ・リーグでは9年間続けて勝利し、州内では最も他に負けない女子アイスホッケー・チームになってきた。2001年に女子テニスは初めて州内ディビジョンIで優勝した。その後も2年間優勝し続け、初めて3年間負け無しのチームになった。

2005年、男子アイスホッケー・チームはポール・ハインズ・レッキングクルーに導かれて、初めてディビジョンIIの州内チャンピオンになった。この時は2年間チャンピオンを防衛していたソーガスを破った。マグネット・スクールとして初めて州内チャンピオンになったことは十分称賛に値することになった。

課外活動

NUTRONSロボット工学チーム

NUTRONS第1ロボット工学チームは1998年に設立され、ノースイースタン大学(Northeastern University)に基盤を置き、6週間の間に課題のロボットを設計し作り上げることで世界と競っている。2001年にはボストン・ラテン・スクールの生徒で国内チャンピオンになった。2007年にはボストン地域競技会で優勝し、2008年と2009年にはデルファイ・ドライビング明日の技術賞を受賞した。

ボストン・ラテン模擬裁判チーム

マサチューセッツ州法曹協会が1987年に模擬裁判プログラムを始めて以来、ボストン・ラテン・スクールはそれへの参加を続けている。そのチームはそれ以来2度州チャンピオンになった、最初は1987年であり、2回目は2006年だった。2006年にオクラホマシティであった全国大会では24位になった。毎年模擬事例を受け取り、検察と被告双方のために冒頭陳述、直接尋問、反対尋問および最終弁論を準備する。その後チャンピオン大会に進むために地域競技会で競う。2006年はルーレン・マクドナウ、マイケル・タンポスキーおよびショーン・クローニンという3人の卒業生弁護士のコーチに助けられ、州のチャンピオン大会に進んで勝利した。

テレビ局

ボストン・ラテン・スクール内には校内テレビ局BLSTVがあり、2003年以降放送を続けている。毎日全校に日々のニュース速報を流している。アナウンサーは全て下級生か上級生の生徒である。校内行事の大半でも登場し、その映像を全て撮り保管している。プロデューサーの多くは大学で映画やテレビのプロデューサーになるべく勉強している。

ボストン・ラテン劇団

ボストン・ラテン劇団は、春のミュージカルを含め学校年1年間に3ないし4の劇を制作している。伝統的にマサチューセッツ州高校演劇組合フェスティバルに1幕物の劇を出してもいる。2007年にはジョーダン・ハリソンの『キッド・シンプル:実物のラジオ劇』を出してフェスティバルの準決勝まで進出し、演技、照明デザイン、および音響デザインで表彰された。2004年にはジョン・ケルビンの「システムに対するぼんやりと認識された脅威』で生徒の監督が監督賞を受賞した。その他フェスティバルへの出品作はトリスティグ・スカイラーの『月光の部屋」(2006年)、クレイグ・ルーカスの『無鉄砲』(2005年)、A・R・ガーニーの『食堂』(2003年)、ジャン=クロード・ヴァン・イタリーの『テレビ』(2002年)および『インタビュー』(2001年)、エレーヌ・メイの『適応』(2000年)、スティーヴ・マーティンの『WASP』(1999年)、ピーター・シャッファーの『ブラックコメディー』(1998年)および『夢想家』(1997年)があった。

2008年冬には『傾いた天使』を制作し、個人と団としての演技の他に音響、メークアップおよび照明デザインと多数の賞を得た。この劇はマサチューセッツ州高校演劇組合から2008年ニューイングランド演劇祭へのマサチューセッツ州代表の一つにも選ばれ、ボストン・ラテン・スクールとしてはそこまで進出した初の快挙になった。2008年春、この劇団は『秘密の庭園』を制作した。2009年、マサチューセッツ州高校演劇組合のために『暗い劇、あるいは少年達の物語』を制作した。現在劇団卒業生にはハーバード・カレッジ、エマーソン大学ニューヨーク大学のティッシュ芸術学校、ノースウェスタン大学(Northwestern University)、ボストンカレッジボストン大学および南カリフォルニア大学の演劇学校で学ぶ者がいる。さらに校内には生徒が創設し生徒が運営する即興劇集団、イェローサブマリン・インプロブ一座があり、オーディション無しでどの生徒でも参加できる慣習で知られている。1999年にジョシュ・マイケル、マイケル・ゲーラおよびジャック・フェリスの3人の生徒が設立した。

音楽

ボストン・ラテン・スクールでは広範な音楽のプログラムもある。新入生、下級生および上級生のコンサート・バンド、コンサート合唱隊、および弦楽合奏団が選択科目になっている(ただし学校の成績平均点には寄与しない)。放課後の合唱団にはア・カペラのウルフトーンズとウルフェッツ、ショー・クワイアおよびチェンバー・クワイアがある。器楽ではフットボール・ペップ・バンド、ジュニア・ビッグ・バンド、フルート・アンサンブルおよびオナーズ・オーケストラがある。また音楽理論入門や大変厳格なアドバンストプレースメント音楽理論クラスのような十分に学術的な音楽授業(成績平均点に組み入れられる)もある。

ウルフトーンズとウルフェッツは唯一生徒だけで運営されている音楽集団である。ウルフェッツは全国優等生協会の会長ニコラス・ブラウン・パーカーによって同協会ベスト・ボーカル・グループ賞に賞されてきた。ウルフトーンズは選外佳作を受けた。ウルフェッツが最近歌っている曲はエミリー・ウィーン編曲の『ハッピー・エンディング』とエロディー・パケット編曲の『セイ・マイ・ネーム』である。この2つの集団は、反虐殺集団であるSTANDの資金を集める為にア・カペラの夜を毎年開催している。

毎年学校のホリデー・コンサートとミュージック・ナイツで全ての音楽集団がその才能を表現している。ホリデー・コンサートは12月半ばの2晩であり、ミュージック・ナイツは春の2晩である。生徒達は出演したい行事のために練習してきた幾つかの選択曲を演奏する。

ボストン・ラテン・スクールの音楽集団は4月に行われるマサチューセッツ州器楽と合唱指揮者協会の祭りでも演奏する。2006年には、シニア弦楽合奏団が2年連続で金メダルを獲得し、ウィンド・アンサンブルが銀メダルを得た。ビッグ・バンドは国際ジャズ教育協会の州決勝大会で6年連続優勝し、バークリー音楽大学の高校ジャズ・フェスティバルでも2位になった。2007年、ビッグ・バンドは国際ジャズ教育協会の州決勝大会で金メダルを取った。

視覚芸術

ボストン・ラテン・スクールの視覚芸術プログラムは、音楽プログラムほど広範に資金が与えられていないが、それでも作業付加の実行可能な部分を使っている。7年生と8年生は視覚芸術の入門と言う意味合いで通常の基本的美術の授業を受けることが期待されている。それより上級の生徒は、通常の基礎授業や、芸術カレッジに進学する生徒の準備を行い画集を制作するように設計された厳格な2年間のアドバンストプレースメント・コースを含め美術の選択コースを取ることができる。

ボストン・ラテン・スクールには3つの大きな二次元アートスタジオ、燃焼窯、コンピュータ研究室および写真研究室がある(ただし、写真の授業は現在のところ無い)。視覚芸術プログラムには2人の教師がおり、別に放課後の陶芸教室は卒業生が教えている。このプログラムではミュージック・ナイツに似たアーツ・ナイツがあり、アドバンストプレースメントを採っている生徒の作品を展示する。

ジュニア・クラシカル・リーグ

2000年以降、ボストン・ラテン・スクールは地元、州および全国レベルのナショナル・ジュニア・クラシカル・リーグに積極的に参加してきた。これは1936年に設立され、古典の深い学術的研究の伝統を助長し、視覚芸術や造形芸術を通じて創造的な表現を培おうという団体である。ボストン・ラテン・スクールはサータメン・スクリメージ(クイズ大会に良く似ている)を毎年11月下旬または12月上旬に開催しており、4月の州大会に代表を送り、7月または8月に開催される全国大会にも派遣することが多い。過去数年、ボストン・ラテン・スクールの支部はその設立以来着実に成長しており、マサチューセッツ州を代表して全国大会にすすむ熱心なサータメン選手を送り出すことが多い。

最近ではバーンスタブル高校(Barnstable High School)で開催されたマサチューセッツ州大会に8人の代表を送り出した。このときは上級チームが1位になり、中級チームは2位になった。オリビア・シュウォブが芸術全般で1位になり、ジェイコブ・マイスターが学術全般で1位になった。マイスターは2007年から2008年の学校年でリーグの第2副会長、2008年から2009年の学校年で会長に選出された。また2007年7月24日から29日までテネシー州ノックスビルで開催された全国大会にも出席した。オリビア・シュウォブとジェイコブ・マイスターは個人成績でそれぞれ10位と3位になった。オリビア・シュウォブは芸術全般で5位になり、ジェイコブ・マイスターは学術と創造性競技で3位になった。

その他の活動

その他にも多くの課外活動があり、赤十字クラブ、ウルフパック・ボランティアーズ、青年気象行動ネットワーク、クレー・クラブ、不可視児童クラブ、ダンジョンとドラゴンのクラブ、同性愛者・非同性愛者同盟、ロボット工学チーム、青年多様性同盟(2009年から2010年の学校年に新しく作られた社会正義のクラブ)、スキー・クラブ等々である。

大衆文化の中で

  • テレビ番組『ザ・ホワイトハウス』のシーズン1第18話で、ロブ・ロウが演じるサム・シーボーンが、公立学校改革と学校券に関する議論でボストン・ラテン・スクールに言及した。彼は「ボストン・ラテン・スクール、このアメリカで最古の学校がニューイングランドで現在でも最良の中等学校で在り続けている」と語った。このサムの発言に対しては、アリソン・スミスが演じるマロリー・オブライエン(首席補佐官レオ・マクギャリーの娘で、小学校教師)が「ボストン・ラテン・スクールだけでなく、ブロンクス科学高校もある」と答えている。
  • 2002年1月8日、ジョージ・W・ブッシュ大統領がその日早くに落ちこぼれ防止法に署名した後、ボストン・ラテン・スクールを訪問した[19]
  • テレビ番組『サンセット・ストリップのスタジオ60』(Studio 60 on the Sunset Strip)のシーズン1第12話で、マシュー・ペリーの演じるマット・アルビーが、彼の甥はボストン・ラテン・スクールで成績評価点3.8だったと語った。これはトップクラスを意味したのだが、ボストン・ラテン・スクールの優等生は4.0以上であり、アドバンストプレースメント学級ではその第二四半期にそのような生徒を実際に指定するので、テレビで言ったのは優等生ではあり得ない。

  1. ^ "Boston Latin School"”. Encyclopadia Britannica Online. 2009年11月22日閲覧。
  2. ^ "First Public School Site and Ben Franklin Statue"”. City of Boston web site. 2009年11月22日閲覧。
  3. ^ "Boston Latin School"”. NNDB. 2009年11月22日閲覧。
  4. ^ "Best High Schools 2008"”. USニューズ&ワールド・レポート (2007年11月29日). 2008年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月22日閲覧。
  5. ^ "The First-Class State?Two examples of how Massachusetts gets it right"”. U.S. News & World Report (2007年11月29日). 2009年11月22日閲覧。
  6. ^ Benjamin Franklin”. Exodus Provisions. 2009年11月22日閲覧。
  7. ^ John B. Judis (1996年8月18日). “"Maximum Leader"”. The New York Times. 2006年5月19日閲覧。
  8. ^ Marie Frisardi Cleary (1985年5月19日). “"The Halls of Boston Latin School"”. New York Times. 2009年11月22日閲覧。 Letter to the editor.
  9. ^ Bergeron, Amanda (2007年7月21日). “Juanita Ponte, 62; taught at Boston Latin”. Boston Globe. http://www.boston.com/news/globe/obituaries/articles/2007/07/21/juanita_ponte_62_taught_at_boston_latin/ 2007年7月21日閲覧。 
  10. ^ Jan, Tracy (2007年2月14日). “Boston Latin headmaster to retire”. Boston Globe. http://www.boston.com/news/globe/city_region/breaking_news/2007/02/boston_latin_he.html 2007年12月31日閲覧。 
  11. ^ "Assistant head is named to Latin's top job"”. Boston Globe (2007年6月26日). 2007年7月4日閲覧。
  12. ^ Jan, Tracy (2006年3月4日). “Growing a Boston Latin in Brooklyn”. Boston Globe. http://www.boston.com/news/local/articles/2006/03/04/growing_a_boston_latin_in_brooklyn/ 2007年8月31日閲覧。 
  13. ^ "The Boston Latin Case"”. Center for the Study of Testing, Evaluation, and Educational Policy. 2007年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年1月29日閲覧。
  14. ^ Kate Stevenson (2008). National Foreign Language Week Archived 2006年9月3日, at the Wayback Machine.
  15. ^ Vaishnav, Anand (2001年4月13日). “Boston Latin Eases Language Requirement”. Boston Globe 
  16. ^ a b “BLSA Bulletin”. Boston Latin School Association. (Fall 2008) 
  17. ^ Werchadlo, Emily (2005年11月24日). “It's still defined by Latin and English”. Boston Globe. http://www.boston.com/sports/schools/football/articles/2005/11/24/its_still_defined_by_latin_and_english/?page=full 2008年1月29日閲覧。 
  18. ^ Dahlbeck, Dwayne (2007年11月27日). “Latin's first conquest comes at last”. Boston Globe. http://www.boston.com/sports/schools/football/articles/2007/11/23/latins_first_conquest_comes_at_last/ 2008年1月29日閲覧。 
  19. ^ "President Bush Speaks in Boston"”. CNN.com (2002年1月8日). 2009年11月22日閲覧。
  20. ^ Rauseo-Ricupero, Ronaldo (2002年1月9日). “Bush Comes To Boston After Education Victory”. Harvard Crimson. http://www.thecrimson.com/article.aspx?ref=161263 2007年12月31日閲覧。 
  21. ^ Hill, Tony (2000年11月12日). “To Place a Black Man in Latin's Pantheon: An Alumnus Quietly Raised to the Star-Studded Frieze”. Boston Globe 
  22. ^ Boston Public Schools 2006 Budget Archived 2008年2月29日, at the Wayback Machine.





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