ベルナールト・ファン・オルレイ タペストリー

ベルナールト・ファン・オルレイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 10:24 UTC 版)

タペストリー

『パヴィアの戦い』タペストリー

当時のタペストリーは絵画よりも高く評価されており、金糸銀糸が織り込まれることもある高価な工芸品だった。単なる装飾としてだけではなく、宮殿や教会内陣の広く、むき出しで冷たい感じのする壁を隠すことができる付加価値も併せ持っていたためである[6]。ベルナールトは若年のころからタペストリーのデザインを手掛けており、1530年以降になると絵画制作はほとんど行わず、タペストリーとステンドグラスのデザイン画に専念するようになった。

ベルナールトが手掛けた最初期のデザイン画と考えられているのは、フランス・ファン・タクシスの依頼によって1516年から1518年に描かれた、ノートルダム・デュ・サブロン教会のタペストリーをデザインした4枚の下絵である。それらのうちの1枚にはパトロンのファン・タクシスとマクシミリアン1世と皇帝3世の2人の神聖ローマ皇帝が描かれている。これはファン・タクシスがブリュッセルと他の帝国領での郵便制度の独占権を与えられたことへの暗喩となっている。二次元上に多くのモチーフが過密に表現されたこれらの作風は、当時のタペストリーの伝統的なデザインだった。

1520年代からベルナールトがデザインするタペストリーは、現在マドリード王宮やいくつかの美術館に散逸しているキリストの受難を表した一連のタペストリーや、ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する『哀歌』に見られるように、伝統的なものからイタリア・ルネサンスの影響を受けた彼の絵画に似たものになっていった[7]。ピーテル・デ・パンネメイカーらの職人が仕上げたこれらのタペストリーにはラファエロが描いたタペストリーの下絵や、デューラーの人物表現からの影響が明確に見られる。デューラーがベルナールト邸に滞在していたときに、タペストリーのデザインについて二人が話をした可能性がある。ベルナールトは聖ガウゲリクス教会の聖セバスティアヌス組合の会員になっているが、この組合会員の半数は専門の織物職人だった。

『マクシミリアンの狩猟』下絵の一枚

ベルナールトは晩年の1521年から1530年にかけて、カール5世か他の帝国宮廷人の依頼で、おそらくはヤン・ヘーテルを助手として12枚のタペストリーの下絵を描いた[8]。現在ルーブル美術館が所蔵する『マクシミリアンの狩猟』と呼ばれるこれら一連のタペストリーは、12枚がそれぞれ12カ月に対応しており、ベルナールトがデザインした中でもっとも有名な作品となっている。制作には2年の歳月と16人の織物職人が必要で、ブリュッセル近郊の広大な森林か、ソワーニュの森で行われた狩猟を表現している。ベルナールトの下絵に描かれている厳密な構成は、躍動感にあふれたものとなっている。写実的で表現力に富み、細部まで詳細に描かれた風景で構成されたこの作品は、ベルナールトの創造力が見事に発揮されたものとなっている。

ブレダ領主ヘンドリック3世・ファン・ナッサウ=ブレダの依頼で1528年から1530年ごろに作成された有名なタペストリーも存在した。ナッサウ家の歴代当主を賛美したタペストリーで、1760年の火災で焼失してしまったが下絵は現存しており、ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵している。

7枚からなる『パヴィアの戦い』も有名なタペストリーで、現在はナポリ国立カポディモンテ美術館に展示されており、7枚の下絵はルーブル美術館が所蔵している。

『天球を持ち上げるヘラクレス』は1530年にポルトガル王ジョアン2世の求めで制作されたタペストリーで、現在はマドリード王宮で見ることができる。天球はポルトガル王家のシンボルだった。


  1. ^ Hartveld S. - Valentin van Orley - The Burlington Magazine for Connoisseurs, Vol. 69, No. 405 (Dec., 1936), pp. 263-265+268-269
  2. ^ 1516 copy of the Shroud of Turin Archived 2007年1月26日, at the Wayback Machine.
  3. ^ Pearson, Adrea G. (Autumn 2001). “Margaret of Austria's Devotional Portrait Diptychs”. Woman's Art Journal 22 (2): 2+19–25. 
  4. ^ S. Hartveld (December 1936). “Valentin van Orley”. The Burlington Magazine for Connoisseurs 69 (405): 263–265+268–269. 
  5. ^ Studies in Western Tapestry
  6. ^ Vandenbroeck, Paul; Miguel Angel Zalama (2007). "Filips de Schone, De schoonheid en de waanzin". Burgos: Fundacion Carlos Amberes. pp. 27–28  (in Dutch)
  7. ^ Michael C. Plomp (Fall 2003). “Pilate Washing His Hands”. Metropolitan Museum of Art Bulletin LXII (2). 
  8. ^ Het edele vermaak. De jacht in de Spaanse Nederlanden onder de Aartshertogen. (Philippe Liesenborghs) (in Dutch)
  9. ^ Lecocq, Isabelle; Todor T. Petev (2004). “Le relevé d'un vitrail offert par Marguerite d'Autriche à l'église Saint-Rombaut de Malines et attribué à Bernard van Orley”. Revue belge d'archéologie et d'histoire de l'art 73: 39–61.  (abstract online : [1] (in French)


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