ブルックナーの版問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/04 22:12 UTC 版)
背景
異なる版・稿を称する複数の楽譜が存在する背景として、しばしば以下が指摘される。
作曲者による改訂
一つめの背景は、作曲者による改訂である。ブルックナーは作品を完成させてからもさまざまな理由から手を入れることが多かった。ここには、小規模な加筆もあれば、大掛かりな変更もある。改訂時期も、多岐にわたっているが、大規模な改訂は時期が集中しているとの見方もある。例えばレオポルト・ノヴァークは「第1次改訂の波」「第2次改訂の波」という言葉で、この見解を説明している。
改訂理由としては、弟子の助言、初演拒否などの外的な理由もあるが、それだけではなく、基本的にはブルックナー自身の音楽的な欲求、作曲家としての性格が反映されたものであると考えられている。
ブルックナー自身による主な稿の一覧
年は完成年
- 1863年 - 交響曲(第00番)ヘ短調
- 1866年 - 交響曲第1番 第1稿
- 1869年 - 交響曲(第0番)ニ短調
- 1872年 - 交響曲第2番 第1稿
- 1873年 - 交響曲第3番 第1稿
- 1874年 - 交響曲第4番「ロマンティック」 第1稿
- 1877年 - 交響曲第1番 リンツ稿
- 1877年 - 交響曲第2番 第2稿
- 1877年 - 交響曲第3番 第2稿
- 1878年 - 交響曲第5番
- 1880年 - 交響曲第4番「ロマンティック」 第2稿 (1)
- 1881年 - 交響曲第6番
- 1883年 - 交響曲第7番
- 1886年- 交響曲第4番「ロマンティック」 第2稿 (2)
- 1887年 - 交響曲第8番 第1稿
- 1889年 - 交響曲第3番 第3稿
- 1890年 - 交響曲第8番 第2稿
- 1891年 - 交響曲第1番 ウィーン稿
- 1896年 - 交響曲第9番 (未完)
弟子の関与
二つめの背景は、弟子の関与である。ブルックナーの楽曲が最初に出版される際、弟子たちが手を加えることが多かった。その規模は楽曲によって異なり、細かい校訂レベルのものもあったが、一部の曲では、長大すぎるために演奏機会に恵まれなかった師の作品を世に出そうと、弟子が大掛かりにカットを加えオーケストレーションの変更をしたりもした。このほか、作曲者の改訂に助言・意見することもしばしばあったとされる。これら初版譜は、特に交響曲第5番と第9番でブルックナーのオリジナルとの乖離が大きい。
のちに校訂・出版される「原典版」は、その弟子たちの加筆部分を明らかにすると共に排除し、ブルックナーの本来作曲しようとしたものを明らかにすることを目指したものであった。
原典版による全集版責任者:ハースからノヴァークへの変更
三つめの背景は、国際ブルックナー協会による原典版校訂作業を、当初ハースが行っていたが、戦後ナチとの関係などからハースがその位置から退き、ノヴァークに替わったことである。ノヴァークの使命はハース版ではない原典版全集を出すことであった。ノヴァークはハースの校訂態度を一部批判し、校訂をすべてやり直した。このため「ハース版」「ノヴァーク版」2種類の原典版が存在することとなり、バッハやモーツァルトの全集版に習って前者を「旧全集」、後者を「新全集」とも呼ぶ。
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