ブラチスラヴァ空港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 17:51 UTC 版)
事件・事故
- 1919年5月4日 - チェコスロバキア軍団指導者の軍人でスロバキア人のミラン・ラスチスラウ・シュテファーニクが搭乗したイタリア軍の複葉機(カプロニCa.33)が着陸直前に墜落し、シュテファーニクら4人全員が死亡。イタリア軍機の国籍マークを色が似ている敵国ハンガリー軍のものと誤認したという友軍撃墜説、エドヴァルド・ベネシュやトマーシュ・マサリクによる謀殺説がある。
- 1966年11月26日 - 悪天候によるダイバートでブラチスラヴァ空港に寄港したソフィア発東ベルリン行きブルガリア=ソビエト航空輸送会社(TABSO)101便(イリューシンIl-18D、機体記号LZ-BEN)が31番滑走路離陸後、8キロ北方のブラチスラヴァ市ラチャ街区の森林地帯に墜落。乗客の日本人1人を含む乗員乗客85人全員が死亡。事故原因の調査をめぐりチェコスロバキアとブルガリアの外交問題に発展した。スロバキア最大の航空機事故。(en:TABSO Flight 101)
- 1976年7月28日 - プラハ発ポルナー、ブルノ、ホドニーン、コストリャニ経由ブラチスラヴァ行きチェコスロバキア国営航空001便(イリューシンIl-18D、機体記号OK-NAB、愛称"コシツェ")が22番滑走路着陸時、所定の高度より高い高度から降下し急制動をかけたことをきっかけに、4番エンジン表示灯の誤点灯や副操縦士の不適切な操作などが重なり、高度50メートルで右旋回して滑走路を逸脱。復航できないまま低空で管制塔をかすめ空港北方の貯水池(ズラテー・ピエスキ湖)に着水大破した。乗員乗客76人死亡、乗客3人負傷。(en:ČSA Flight OK-NAB)
- 1977年2月11日 - プラハ発ブラチスラヴァ経由コシツェ行き郵便機のチェコスロバキア国営航空471便(アヴィアAv-14、機体記号OK-OCA)が22番滑走路着陸時に空港手前2キロの地点で墜落。郵政職員2人と乗員2人が死亡、乗員1人負傷。悪天候にともなう視界不良の中、風向および風圧の特定の条件下で高度計が誤った高度を表示したことが原因。
- 1977年10月20日 - 東部スロバキア県バルジェヨウ市の別荘で階段から落ち腕を骨折したチェコスロバキア大統領グスターフ・フサークの2番目の妻ヴィエラ・フサーコヴァーをブラチスラヴァまで緊急搬送したヘリコプター(ミルMi-8)が、濃霧のため空港内で着陸に失敗。フサーコヴァーと乗員3人、添乗の医師1人の5人全員が死亡。
- 1999年2月8日 - Avistar(ガーナ)の貨物便(ボーイング707-328C型機)が滑走路から逸脱して擱座した。負傷者なし。
- 1999年6月6日 - 国際航空ショー"SIAD 1999"でデモ飛行中の英空軍練習機BAeホーク200が機体引き起こしの遅れで空港滑走路上に時速約500〜600キロで衝突。制御不能となった機体は爆発炎上して跳ね上がりながら空港用地内の物置小屋などを約200メートルにわたってなぎ倒した。英空軍所属のパイロットとなぎ倒された建物の屋上で見物していた女性の2人が死亡、破片を受けた地上の4人が負傷。
- ^ 総合航空ターミナルは当初、シェンゲン圏域国際便到着口のCターミナルとして供用を開始したが、スカイヨーロッパ航空倒産などの影響で休止状態となっていた。
- ^ 連絡通路でBターミナル10〜13番ゲートに連絡
- ^ “Cyprus Airways announces the launch of ticket sales for summer 2019. New improved baggage policy as of 31 March 2019”. www.cyprusairways.com. 2018年11月23日閲覧。
- ^ “Cyprus Airways spustí pravidelné lety z BTS do Larnaky”. www.bts.aero. 2018年11月29日閲覧。
- ^ “Bratislavu už s Košicami ani Prahou české aerolinky nespoja”. sme.sk. 2018年12月19日閲覧。
- ^ “Z Bratislavy pribudne nová letecká linka do Kyjeva-Borispolu”. 2018年8月31日閲覧。
固有名詞の分類
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