フェアリー フルマー
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フルマーは1940年1月4日に初飛行(元が改修機であるため、これが生産型となる)したが、この時期まで生産がずれ込んだのは、フェアリ社の新工場完成を待ったためであるとされる。1940年6月には第806飛行隊に配備され、初期生産であるMk.I型127機が納入された。その後1941年1月20日にはエンジンをマーリンXXX型1,260hpに換装し、最大速度が438km/hに上昇したMk.II型が初飛行、その後1942年になってから生産、配備された。
しかし、複座とその重量から来る能力不足はいかんともしがたく、早くも1942年から空軍のスピットファイアの海軍版であるシーファイア、同じくハリケーンの海軍版であるシーハリケーン、アメリカから供与されたマートレットといった単座戦闘機、そして、フェアリー社がフルマーの後継として開発した複座戦闘機ファイアフライ等と交換され、1943年には生産が終了、同年にはほぼ前線から退いた。
フルマーは1940年1月から1943年3月まで生産され、生産数はMk.I型250機とMk.II型350機および1941年1月に飛行した試作1機の合計601機とする説、606機という説もある。Mk.Iの生産数は127機は初期発注、250機はミュンヘン会談の原因となったチェコスロヴァキアに対するズデーテン地方割譲要求により戦争の可能性が高まった1938年9月におこなわれた追加発注である。一部450とする資料があるがこれは追加発注を入れていないと考えられる上、初期発注とMkIIのみでも477機となり数が合わない。
また、Mk.II型の一部から夜間戦闘機としてMk.IVレーダーを搭載した型が存在するほか、固定武装以外に後部座席に7.7mm機銃を装備し、計9挺としている機体もあった。このほかに、水上戦闘機とするために778航空隊に渡されたものが存在するが、結局水上機化は行われなかった。
- ^ 601や602とする資料もある。350はMkIIのみ。450はミュンヘン危機の際の追加発注を忘れており間違い。
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