ナジーム・ハメド ナジーム・ハメドの概要

ナジーム・ハメド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/06/06 05:11 UTC 版)

ナジーム・ハメド
WWE - Sheffield 020499 (17).jpg
基本情報
本名 ナジーム・ハメド
通称 プリンス
悪魔王子
階級 フェザー級
身長 160cm
リーチ 160cm
国籍 イギリスの旗 イギリス
イエメンの旗 イエメン
誕生日 1974年2月12日(40歳)
出身地 イギリス
イングランドシェフィールド
スタイル 変則型サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 37
勝ち 36
KO勝ち 31
敗け 1
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来歴

アマチュアボクシングを経験した後、1992年4月14日に18歳でプロデビュー。デビュー当時はフライ級であった。

1994年5月11日、ビンセンツォ・ベルカストロに判定勝ちし、EBU欧州バンタム級王座を獲得。

1994年10月12日、階級を上げ、WBCインターナショナル・ジュニアフェザー級王座決定戦でフレディ・クルスに6RTKO勝ちし、同王座を獲得。

1995年9月30日、更に階級を上げ、スティーブ・ロビンソンに8RTKO勝ちし、WBO世界フェザー級王座を獲得。

1997年2月8日、トム・ジョンソンに8RTKO勝ちし、IBF世界フェザー級王座を獲得。2団体統一に成功。IBF王座は2度防衛後の1997年9月に返上。

1998年4月18日、ウィルフレド・バスケスに7RTKO勝ち。バスケスはWBA世界フェザー級王者であったが、王座を返上してハメドとの試合に臨んだ。ハメドは実質的に3団体の王座を統一。

1999年10月22日、セサール・ソトに判定勝ちし、WBC世界フェザー級王座を獲得。再び2団体統一に成功するも、WBC王座は1度も防衛戦を行わずに返上。実質的に4団体の世界フェザー級王座を統一。

2000年10月、15度防衛したWBO世界フェザー級王座を返上。

2001年4月7日のマルコ・アントニオ・バレラとのIBO世界フェザー級王座決定戦に敗れプロ初敗北を喫した。その後再起戦が予定されていたが、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロが起き、世界的にアラブ系人物へのイメージが急速に悪化したため中止になった。

約13か月のブランクを経て2002年5月18日にマヌエル・カルボとのIBO世界フェザー級王座決定戦に判定勝ちし、同王座を獲得[1]

2005年5月、英中部シェフィールド市内を速度約144km/hで運転し対向車と衝突、対向車の運転手に重傷を負わせた事件で2006年5月12日、英シェフィールド刑事法院から禁固1年3か月の実刑判決を言い渡された[2]。刑期満了で出所した後インタビューに応じる。服役中まったく練習しなかったせいか、かなり太っていた[3]

ボクシングスタイル

リードブローを打たない、腕をだらりと下げガードをしない、飛び上がってパンチを打つという、近代ボクシングの禁忌をあざ笑うかのようなスタイルで相手を翻弄する。 背骨が直角に曲がるほどのスウェーバック、背面を完全に相手に見せるほどの深いダッキング、それらを瞬時かつ的確に行える反射神経と動体視力を駆使するため、避けることに関しては右に出る者がいない。

かといってディフェンス偏重なわけでもなく、スウェーバックしながらカウンターパンチを繰り出したり、バックステップしながらパンチを出す等、通常の選手であれば体重を乗せられず手打ちになってしまうようなパンチを放ち、なおかつそれで相手選手を平気でKOしてしまう。ハメドを指導した名トレーナー、エマニュエル・スチュワードをして「もしレノックス・ルイスとハメドが同じ階級ならハメドのパンチ力の方が上だ」と言わしめるほどのハードパンチャーである。

戦略としては、薄ら笑いを浮かべつつノーガードのまま相手選手に近づいたり、ダンスを踊るようなステップで挑発し、相手選手の大振りを誘う。それを軟体動物のように柔軟なウィービングでかわした後、突然足のステップとは関係ないタイミングで、体ごと相手に飛びかかっていくようなブローをお見舞いしてKOする試合が多く見られる。なお、サウスポーを自称してはいるものの、スイッチを頻繁に行ううえに、右でフィニッシュすることも多い。

ハメドのサンデーパンチは、フックともアッパーとも言えないオリジナルブローである。 まるで猫科の猛獣が獲物に飛びかかるかのように放つのだが、通常このようなパンチはテレフォンパンチと呼ばれ、 初動を見抜かれやすく、モーションに入ると中断することができないため、カウンターの餌食になるという致命的な欠点を持つ。 この無謀にも思えるパンチに、前述の人間工学を無視したような動きでフェイントを施し、相手の死角からインパクトさせるのを得意としている。

総合的に見て非常に型破りでトリッキーな選手のため、ケビン・ケリー、ウェイン・マッカラーセサール・ソトブヤニ・ブング、オーギー・サンチェスなどのオーソドックスなボクサーほどハメドの術中にはまって翻弄された。プロで唯一ハメドを破ったマルコ・アントニオ・バレラは、執拗にカウンターを狙った出入りの激しいボクシングで、ハメドの的を絞らせないよう徹底し、判定勝ちを収めた。

試合以外でも、入場の際の派手なパフォーマンス、前転してリングインなどの独自のスタイルを貫いた。須藤元気は自身のスタイルを「ハメドを参考にした」と語っている通り、入場パフォーマンスはもちろん、バックハンドブローやステップ、視線を相手からわざと外すなど、全般(本来ボクシングではバックハンドでのパンチは反則)に、ハメドの影響が見受けられる。また、山本"KID"徳郁K-1ルールに初挑戦する際に、「ビデオでハメドを見て参考にした」と語っており、テレビ解説を務めた畑山隆則からも「KID選手の戦い方はナジーム・ハメドに似てますね」と評価された。極真会館で前人未踏の5回の全日本優勝の記録を持つ数見肇も師匠にナジーム・ハメドのビデオを見せられ「あんな風にスタスタ歩いて自由に強いパンチが出せるようになりたい」と一つの理想型にしていた。

その奇抜なボクシングスタイル故に、ファンやアンチの数も多いが、他の格闘技界への影響も含め、良くも悪くも魅せるボクサーであった。

また、ボクシング漫画「はじめの一歩」にはハメドの野性的なボクシングスタイルをモデルとしたと思われるブライアン・ホークというジュニアミドル級世界チャンピオン、ウォーリーというフェザー級インドネシアチャンピオンが登場する。

エピソード

  • かつて、日本の薬師寺保栄がWBC世界バンタム級チャンピオン、辰吉丈一郎がWBC同級暫定チャンピオンであった当時、ハメドはWBC同級4位にランクされていた経緯があった。日本のあるボクシング雑誌のインタビューで、ハメドは「ヤクシジは知っているが、タツヨシは知らないなあ。」と言っていたエピソードがある。
  • 派手なパフォーマンスとは裏腹に、熱心なイスラム教徒でもある[4][5][6]。リング上では、いつもイスラム教の神に祈りを捧げていた。



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