テゲトフ級戦艦 兵装

テゲトフ級戦艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/09 00:52 UTC 版)

兵装

主砲

「テゲトフ」の3番主砲塔と4番主砲塔。

本級の主砲は前級に引き続き帝国内の火砲メーカーであるシュコダ製1910年型 K10 30.5cm(45口径)砲を採用した。当時の30.5cm砲弾としては重量級に属する砲弾重量450kgの徹甲弾を使用し、仰角20度での射程20,000mという性能であった。砲塔の装填機構は仰角2度の固定角度装填形式で、砲身の俯仰能力は仰角20度から俯角3度、旋回角度は首尾線方向を0度として左右140度であった。発射速度は竣工時は毎分2発であった。砲弾の搭載定数は砲1門につき76発とやや少なかった。[5]

イタリア海軍に次いで三連装砲塔を弩級戦艦時代において採用した数少ない艦級の一つで、砲塔の開発もシュコダ社である。この30.5cm三連装砲の開発に際しては、ヴィッカース社からの技術導入が行われている[1]。しかし、当時三連装砲塔の開発は他国にも類例が少なく、本級の主砲では経験不足からその後は見られないような設計が採用されていた。のちの時代においては、砲弾装薬を装填機構まで運ぶ揚弾機は主砲1門につき1基が付くのが普通であるが[6]、これに対し、シュコダ社は構造を簡略化して重量を軽減する目的から揚弾機は各砲身の間に1基ずつの計2基しか設置しなかった[7]。これにより、3門のうち中央砲の装填には左右どちらかの揚弾機を併用するしかなく、戦闘時には実質的な火力は8門しか使えないこととなった[3]

本級の設計当時は全ての門数を使用する急斉射を行うことは稀で、通常は弾着観測の容易さと実勢発射速度の向上を目的として全ての門数を使用せず、半分の門数を使用する交互打方(こうごうちかた)による斉射方法が主流であったため、発射待ちの砲身は最大でも2門なので毎斉射での6門発射はほぼ確実に確保でき、交互打方で見る限りは出弾率はさほど低下しないと机上では考えられていた。しかし、照準が合致した後の戦闘時には自ずと揚弾機はフル稼働状態となり、中央砲の分の揚弾機が無いことは弱点になりうる。本級以外の三連装砲の採用例では、アメリカ海軍の14インチ45口径砲塔が揚弾機2基(左揚弾機が左砲と中砲を担当する。但し揚薬機は1門につき1基)であった。その他は、いずれも砲と同数の揚弾機を装備している。

副砲・水雷兵装

本級の副砲は、フランスやドイツなどの欧州戦艦と同様に打撃力を重視する考え方から、シュコダ社の新設計1910年型 K10 15cm(50口径)砲を採用した。この点イタリア海軍などがイギリスにならい、速射性を重視して12cm砲を採用したのとは異なっている。その性能は、重量45.5kgの砲弾を使用した場合、仰角15度での射程15,000mであった。 砲身の俯仰能力は仰角15度・俯角6度で、旋回角度は120度であった。装填形式は自由角度装填で、発射速度は人力装填のため毎分6発であった。これを一番甲板と二番甲板の間に単装砲形式で片舷6門計12門を装備した。門数が少ないのは装備可能位置が艦中央部に局限されたためである。その他に、水雷艇反撃用に6.6cm(50口径)速射砲を単装砲架形式で計18基装備した。

水雷兵装として、53.3cm水中魚雷発射管を艦首と艦尾に1門ずつと2番主砲塔の左右に1門ずつの計4基装備した。


  1. ^ a b c 『福井静夫著作集 第六巻-軍艦七十五年回想記 世界戦艦物語』 pp.171-175
  2. ^ 本級に限らず弩級戦艦は従来の戦艦に比較して主砲門数を大幅に増加したことから、艦上の爆風の影響が著しくなり、露天甲板上の装備の爆風対策が強化されることとなった。艦載艇については爆風の影響が最も少ない艦中央部煙突付近に収容するようになった(『福井静夫著作集 第六巻-軍艦七十五年回想記 世界戦艦物語』 p.63)。
  3. ^ a b c イカロス出版:刊「ミリタリー・クラシックス Vol.67 WW2兵器名鑑 第18回 テゲトフ級戦艦(オーストリア=ハンガリー)」(文/すずきあきら イラスト/みこやん) 2019年
  4. ^ 福井静夫は、オーストリア=ハンガリー帝国海軍の戦艦の特徴として、比較的小型・高速であり、多島嶼水域や狭水道での運動に適した構造であることを挙げている(『福井静夫著作集 第六巻-軍艦七十五年回想記 世界戦艦物語』 pp.171-175)。
  5. ^ 光人社 軍艦と砲塔 2018年
  6. ^ 同時代のイタリア海軍の「ダンテ・アリギエーリ」の三連装砲塔は、砲塔1基につき3基の揚弾機を持っていた。
  7. ^ Russell Phillips Military technology and history>Szent István: Hungary’s Battleship>The Ship|June 2013|Russell Phillips ※2020年8月31日閲覧
  8. ^ 「世界の艦船増刊第83集 近代戦艦史」(海人社) pp.76-77
  9. ^ 休戦に先立って新設されたユーゴスラビア海軍の管理下に本艦が入った1日後のことであることから、イタリア海軍がユーゴスラビア海軍に艦を渡さないために行った作戦行動であったと見られる。





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