シオドア・スタージョン シオドア・スタージョンの概要

シオドア・スタージョン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/12 07:48 UTC 版)

シオドア・スタージョン
Theodore Hamilton Sturgeon
誕生 1918年2月26日
ニューヨーク州 スタテンアイランド
死没 (1985-05-08) 1985年5月8日(67歳没)
オレゴン州 ユージーン
職業 小説家
ジャンル SF
代表作 『人間以上』、「ゆるやかな彫刻」
主な受賞歴 国際幻想文学大賞ヒューゴー賞
ウィキポータル 文学
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独特なリズムを持った文体を操り、散文を詩のように書いた作家。「SFの90%はクズである。ただし、あらゆるものの90%はクズである」という「スタージョンの法則」でも知られる。

経歴について

ニューヨーク州スタテンアイランドにて1918年に生まれる。出生時の名はエドワード・ハミルトン・ウォルドー (Edward Hamilton Waldo)。父はペンキ業者、母は教師。父親はエドワードの幼少時に別居し、のちに離婚。母の再婚により、義父方の姓であるスタージョンに改姓。この際にファースト・ネームも改名し、シオドア・ハミルトン・スタージョン (Theodore Hamilton Sturgeon) となる[1]。このため時に「シオドア・スタージョン」がペンネームだと誤解されることがあるが、本名である[2]

サーカスの空中ブランコ乗りにあこがれるが、リューマチ熱の病後の心臓肥大により断念する。船員生活をへて創作をはじめる。1938年、SFやファンタジーではない作品を "McClure Syndicate" に売ったのが作家デビューとなった。翌年、『アスタウンディング』誌に "Ether Breather" が掲載され、SF作家としてデビューした。当初はSF短編を主に書き、『アンノウン』誌や『アスタウンディング』誌といったSF専門誌に主に掲載されていたが、時には『アーゴシー・マガジン』のような一般大衆誌に掲載されることもあった。『アスタウンディング』誌の同じ号に2作品が掲載されたことがあり、ペンネームとしてE・ウォルドー・ハンターという名前を使った。初期作品の一部にはシオドア・H・スタージョンという名前を使っていた。

スタージョンは『宇宙大作戦』のエピソード「おかしなおかしな遊園惑星」と「バルカン星人の秘密」の脚本も書いている。後者のエピソードでは、初めて「ポンファー」というバルカン人の発情期のようなものが描かれ、「長寿と繁栄を」という挨拶と手のしぐさ(バルカン・サリュート)も初めて描かれた。他にもスタートレックの脚本を書いているが、エピソードとして採用されなかった。他にもいくつかのテレビ番組の脚本を書いており、1985年の『トワイライトゾーン』には2本の短編(「孤独の円盤」と「昨日は月曜日だった」)が採用されている。1944年の中編「殺人ブルドーザー」は1970年代にテレビ映画化され、マーベル・コミックで漫画化され、原題の "Killdozer" をバンド名にするロックバンドも登場した。

1950年代の絶頂期にはSFアンソロジーに選ばれる常連作家となっており、評論家の受けもよかったが(John CluteThe Encyclopedia of Science Fiction の中で「彼のハーラン・エリスンサミュエル・R・ディレイニーといった作家への影響は明らかで、第二次大戦後のアメリカSFに強力で解放的な影響を及ぼした」と記している)、一般にはあまり人気は高くなく、賞もあまり受賞できなかった(SF関連の賞が創設される前に絶頂期が終わっていたという点は考慮しなければならない)。レイ・ブラッドベリも影響を受けた作家としてスタージョンを上げている。カート・ヴォネガットの作ったキャラクターであるキルゴア・トラウトはシオドア・スタージョンをモデルにしている。

1985年、肺繊維症をわずらい、オレゴン州ユージーンで亡くなった[3]。亡くなる数年前からユージーン近郊のスプリングフィールドに住んでいた[4]

代筆問題について

スタージョンはエラリー・クイーン名義のミステリー『盤面の敵』(1963年)をゴーストライターとして書いている(フレデリック・ダネイのプロットを基に執筆。ダネイのプロットを基に小説を書いてきたマンフレッド・リーの代役であった[5])。

この小説は高く評価された。ミステリ作家にして評論家のH・R・F・キーティング(H.R.F. Keating)はこれがスタージョンの作であることを知り、「私は 『海外ミステリ名作100選』(Crime and Mystery: the 100 Best Books)を書き上げたばかりで、その中で『盤面の敵』をクイーンの作品として疑いもなく言及していた」と記している[6]。同様に、MWA賞受賞作家であるウィリアム・L・デアンドリア(William DeAndrea)は、雑誌 Armchair Detective の記事で好きなミステリー10冊を挙げているが、その中に『盤面の敵』が入っていた。彼はこの作品で人生が変わり、熱心なミステリーファンとなって、最終的に作家になったことを告白し、同作品を最大級に褒め称えている[6]

評論家の野崎六助、その著書『北米探偵小説論』において、「(この本が)最初からスタージョン名義で刊行されていたら、おそくら冒頭の章を読むだけで、結末の見当はついてしまったことだろう」と書いた。

作家の法月綸太郎は、『盤面の敵』は単なる代作ではなく、「孤独な魂に送られてくるメッセージ」というスタージョン的なモチーフが利用されており、特にスタージョンの自身の短編「隔離」(『SFベスト・オブ・ザ・ベスト』(上)に収録)の影響が強いと論じている[7]


  1. ^ Theodore Sturgeon, Storyteller. 1976 Biographical essay by Paul Williams. "Sturgeon because that was the stepfather's name -- he was a professor of modern languages at Drexel Institute in Philadelphia -- and Theodore because Edward was the boy's father's name and the mother was still bitter and anyway young Edward had always been known as Teddy."
  2. ^ op. cit.. "To this day, libraries all over the world list "Theodore Sturgeon" as a pseudonym for "E.H. Waldo, which is incorrect."
  3. ^ Theodore Sturgeon FAQ
  4. ^ Obituary from the Register-Guard, May 10, 1985, retrieved from George C. Willick's "Spacelight" webpage May 4, 2007.
  5. ^ 法月綸太郎『盤面の敵はどこへ行ったか』(講談社)P.
  6. ^ a b Keating, H.R.F., The Bedside Companion to Crime, New York: Mysterious Press, 1989
  7. ^ 法月『盤面の敵はどこへ行ったか』(講談社)P.353
  8. ^ 同じ設定のテレビドラマ『原子力潜水艦シービュー号』もあるが、こちらのノヴェライズは別にある。


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