グアテマラの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/02 01:15 UTC 版)
グアテマラの春
1944年から1954年まではグアテマラの春と呼ばれ、かつてないほど自由な空気の下に、各種の民主的な社会改革が進められた。
ハコボ・アルベンス・グスマンはポプリスモ的政治家として土地改革などの政策を行ったが、これは次第に合衆国がグアテマラの共産主義化とのネガティブキャンペーンを張らせることになり、土地改革がユナイテッド・フルーツの社有地に適用されることになると、合衆国の怒りは頂点に達した。反アルベンス派傭兵軍がエル・サルバドルから侵攻すると、軍の上層部はアルベンスを見捨てアルベンスは亡命。グアテマラの春は終わりを告げた(PBSUCCESS作戦)[注釈 2]。
グアテマラ内戦
CIAはグアテマラ社会の広い支援を得て、1954年、PBSUCCESS作戦と呼ばれる政府転覆を実行し独裁的な親米政権が生まれたが、これはグアテマラ国家に社会不安の時代をもたらした。1960年からグアテマラ内戦が始まり、36年間にわたり武装反乱軍(FAR)などのゲリラとグアテマラ政府軍の戦闘が続いた。1970年代後半からは、軍部出身者もしくは現役軍人がクーデターにより実権を握り、1982年、エフライン・リオス・モントが政権を担った時期には、農村部への焦土作戦をとるなど反体制派に対する徹底した弾圧を行った。この軍事行動の結果、数万人の行方不明者を含め最大20万人が死亡もしくは行方不明となった[1]。内戦状態は1996年に平和条約の調印によって終わった。
内戦終結以降
1996年に署名された和平合意のほとんどは、1年以上経過しても履行されなかったが、2000年代にはいると徐々に過去の弾圧を国内の裁判にて訴えるケースが見られるようになった。2009年には元軍人が農民を行方不明にさせた罪で禁錮150年の判決を受けたことを皮切りに、2013年には元大統領であるエフライン・リオス・モントがジェノサイドの罪と人道に対する罪で禁錮80年の判決を言い渡され収監されている[2]。
脚注
注釈
出典
- ^ “Conclusions: The tragedy of the armed confrontation”. Shr.aaas.org. 2009年9月3日閲覧。
- ^ “グアテマラの元将軍に禁錮80年、大量虐殺の罪”. AFPBB News (フランス通信社). (2013年5月11日) 2013年5月12日閲覧。
- 1 グアテマラの歴史とは
- 2 グアテマラの歴史の概要
- 3 グアテマラの春
- 4 関連項目
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