ギュスターヴ・ブーランジェ ギュスターヴ・ブーランジェの概要

ギュスターヴ・ブーランジェ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/21 21:06 UTC 版)

ギュスターヴ・ブーランジェ
Gustave Boulanger
作者不詳の肖像画
サイン2つ。上:1848 年、下:1872年7月3日
誕生日 1824年4月25日
出生地 フランス王国パリ
死没年 1888年9月22日
死没地 フランス共和国・パリ
運動・動向 オリエンタリズム
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生涯

ギュスターヴ・ブーランジェはクレオールの両親から生まれ、14歳で孤児となった。1846年エコール・デ・ボザールに入学し、ピエール=ジュール・ジョリヴェポール・ドラローシュについて絵を学んだ。

1845年にアルジェリアを初めて旅し、中東の風物に興味を持ち、これは友人の画家ジャン=レオン・ジェロームにも引き継がれる。1849年に、『エウリュクレイアによって見分けられるオデュッセウス[1]ローマ賞を受賞した。ローマへの留学の間にポンペイの遺跡も訪れ、後の作品にその影響が見られる。

1882年芸術アカデミー会員に選ばれ、アカデミー・ジュリアンの教授となった。

ガルニエ宮(オペラ座)の稽古場、モンテカルロ歌劇場パリ13区区役所などの装飾も手掛けた。

代表作

ブーランジェ『奴隷市場』
  • エウリュクレイアによって見分けられるオデュッセウス(1849年) - ローマ賞受賞作。
  • オデュッセウスとエウリュクレイアのスケッチ(ディジョン、マニャン美術館)
  • 四季(1850年。クリーブランド美術館
  • フリュネ(1850年。ゴッホ美術館
  • ポンペイの悲劇詩人の家でのリハーサル(1855年 - 1857年。エルミタージュ美術館
  • カエサルルビコン川に着く(1857年)
  • アラビアの羊飼い
  • ポンペイのアトリウムでの笛吹とディオメデスの女性とナポレオン王子のリハーサル(1860年。ヴェルサイユ宮殿トリアノン城国立美術館→2013年にオルセー美術館に管轄替え)
  • セバスティアヌスと皇帝マクシミアヌス(1877年にパリの美術サロンに出典。情報元:ARCHIM
  • ユダヤ人のポーター アルジェの思い出(1884年)
  • 洗濯女とその愛人(1887年)
  • ランビネ夫人旧名ナタリー・シンクレアの肖像(1887年。ランビネ美術館 Musée Lambinet
  • 敗走するカビール族
  • サハラの騎士
  • DjeïdとRahia

ブーランジェの教えた学生

エコール・デ・ボザールアカデミー・ジュリアンで教え、ブーランジェに学んだ学生には、トマス・デューイングジョルジュ・ロシュグロスアンリ=リュシアン・ドゥセらがいる。

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