キャロットタワー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/22 13:21 UTC 版)
概要
三軒茶屋は、江戸時代に大山への参拝に行く途中、この地に三軒の茶屋があったことに地名が由来し[3]、街道の分岐点として繁栄した[2]。時代が下り、関東大震災後には下町から人々が移り住み、太平洋戦争後の都市化の中で町並みが形成されていった[3]。
山の手のイメージが強い世田谷にあっては、雑多なエネルギーにあふれた街へと発展したが、周辺は狭い道路や木造住宅が密集し防災面での問題が指摘され[2]、人口の急増に都市機能が追いつかず、生活拠点としての施設作りが望まれるに至った[3]。このため、世田谷区は地権者と東京急行電鉄(現・東急)などと共同で「三軒茶屋・太子堂四丁目地区市街地再開発組合」を設立[2]。周辺道路の拡幅と地下道路の整備ならびに土地の高度利用を図り、地域発展の核施設を目的にこの開発事業が計画された[3]。
施設は地下5階、地上27階建て(利用階は26階まで)の高層棟、劇場が入る中層棟、世田谷線三軒茶屋駅と小劇場がある低層棟からなり[2]、世田谷線旧駅を含む一画は、広場として新たに整備された地下道である「三茶パティオ」により、田園都市線(キャロットタワー開業時は新玉川線)三軒茶屋駅と連絡することになった[4]。高層棟と中層棟の間には、ガラス屋根で覆われた5層吹き抜けの高さを有する全天候型のアトリウムを設け[4]、敷地に展開する各施設の回遊動線の中心的役割を担わせた[4]。
外観デザインは、いまだにフロンティアである世田谷の空に立つ再開発の記念碑として、建物外部の床からアトリウムの壁面さらには外壁へとレンガの鮮烈な赤色を形を変えて展開した[5]。
名称は公募され、1488通の中から「発想が豊かで新鮮。ビタミンたっぷりで元気の出る名前は将来の発展にふさわしい」との理由で区内の中学1年生の作品が選ばれ「キャロットタワー」と決まった[6]。
毎年10月には、キャロットタワーの施設を利用した「三茶de大道芸」と称するイベントが行われており、多数の人々で賑わう。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 新建築 1997, p. 296.
- ^ a b c d e 「三軒茶屋の再開発事業 キャロットタワーが完成 世田谷」『毎日新聞』東京版 1996年11月20日
- ^ a b c d BE建築設備 1997, p. 22.
- ^ a b c BE建築設備 1997, p. 23.
- ^ BE建築設備 1997, p. 24.
- ^ 「三軒茶屋の再開発ビル、名称決定 世田谷区」『毎日新聞』東京版 1995年9月27日
- ^ a b 『三軒茶屋とうきゅう1F リニューアルオープンについて』(プレスリリース)東急ストア、2018年5月23日 。2020年11月5日閲覧。
- ^ 『世田谷区立スカイキャロット展望ロビーの指定管理者の指定について』(プレスリリース)世田谷区 。2020年11月5日閲覧。
- ^ 新建築 1997, p. 270.
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