エットーレ・ルケージ・パッリ エットーレ・ルケージ・パッリの概要

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エットーレ・ルケージ・パッリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/28 02:12 UTC 版)

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エットーレ・ルケージ・パッリ
Ettore Lucchesi Palli
第4代グラツィア公
第9代カンポフランコ公
在位 1856年 - 1864年

出生 (1806-08-02) 1806年8月2日
シチリア王国パレルモ
死去 (1864-04-01) 1864年4月1日(57歳没)
オーストリア帝国ブルンゼー城スウェーデン語版
配偶者 マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン
子女 アンナ・マリーア
クレメンティーナ・イザベッラ
マリーア・フランチェスカ・ディ・パーオラ
マリーア・イザベッラ
マリオ・アディノルフォ
家名 ルケージ・パッリ家
父親 第3代グラツィア公アントーニオ・ルケージ・パッリ
母親 マリーア・フランチェスカ・ピニャテッリ
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生涯

第3代グラツィア公爵アントーニオ・ルケージ・パッリ(1781年 - 1856年)とその妻マリーア・フランチェスカ・ピニャテッリ(1784年 - 1837年)の間の次男として生まれた。ルケージ・パッリ家ドイツ語版ルッカに起源を持つ古い貴族家門である。1831年12月14日ローマにおいて、ベリー公爵夫人マリー・カロリーヌと秘密結婚した。カロリーヌは両シチリア王フランチェスコ1世の娘、ベリー公爵シャルル・フェルディナンの未亡人であり、7月革命で失った次期国王の母后としての地位を取り戻すべく1832年4月フランス西部で反乱を起こすが、失敗している。妻カロリーヌがオーストリア・シュタイアーマルク州に購入したブルンゼー城で暮らした。1856年父の死とともに公爵位を継承。

カロリーヌとの間に5人の子をもうけた。

  • アンナ・マリーア(1833年) - カロリーヌが反乱扇動罪で収監中に出産した婚外子
  • クレメンティーナ・イザベッラ(1835年 - 1925年) - 1856年カミッロ・ツィレリ伯爵と結婚
  • マリーア・フランチェスカ・ディ・パーオラ(1836年 - 1923年) - 1860年アルソリ公カミッロ・マッシモ[1]と結婚
  • マリーア・イザベッラ(1838年 - 1873年) - 1856年マッシミリアーノ・ディ・カブリアーニ侯爵と結婚、1864年ジョヴァンニ・バッティスタ・ディ・コンティ伯爵と再婚
  • マリオ・アディノルフォ・レオポルド・アントニオ・エットーレ(1840年 - 1911年) - 第5代グラツィア公爵

参考文献

  • Constantin von Wurzbach: Lucchesi-Palli, Hector Karl Graf. In: Biographisches Lexikon des Kaiserthums Oesterreich. 16. Theil. Kaiserlich-königliche Hof- und Staatsdruckerei, Wien 1867, S. 129 f. (Digitalisat).
先代:
アントーニオ
グラツィア公
1856年 - 1864年
次代:
マリオ・アディノルフォ

  1. ^ 嫡孫のアルソリ公レオーネ・マッシモは作曲家で、ジェノヴァ公トンマーゾの次女マリーア・アデライーデイタリア語版と結婚した。また、次男のロヴィアーノ公ファブリツィオ・マッシモはマドリード公カルロス・マリアの三女ベアトリススペイン語版を妻とした。


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