ウィリアム・ピット (初代チャタム伯爵) 人物・評価

ウィリアム・ピット (初代チャタム伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/26 16:32 UTC 版)

人物・評価

1755年の庶民院でフランスとの開戦を求めたピットを描いた絵。

首相時代の事績より第2次ニューカッスル公爵内閣期の七年戦争の戦争指導によって高い評価を得ている。この戦争の勝利でイギリスは北アメリカとインド亜大陸からフランスを追って覇権を構築し、世界最大の植民地帝国大英帝国を建設する基礎を築いたからである[54]

平民出身のピットは「国民の声を聞け」と国王に要求して国王から煙たがられた[55]。国王や貴族を侮蔑して憚らず、ジョージ3世やニューカッスル公に公然と盾突いた。そのためジョージ3世はピットのことを「反逆のラッパ」と渾名した[23]。長く平民・庶民院議員で通したため、「偉大な平民」と呼ばれて尊敬された(その反動で1766年にチャタム伯爵位を受けた際には批判に晒された)[56]

彼の行動理念は政党・党派を否定して「愛国王」(初代ボリングブルック子爵ヘンリー・シンジョンの概念)ならぬ「愛国首相」になることであった。第4代オーフォード伯爵ホレス・ウォルポールは「できる限りあらゆる陣営から優秀な人材を引きぬいて、全ての政党を瓦解させることがチャタムの年来の意図であった」と述べている[57]ルイス・バーンスタイン・ネイミアは「チャタムは孤独な人間だった。自分と世間の間に垣根を設けていて少数の者にしかそれを越すことを許さなかった」と論じており、彼が政党政治家になりたがらなかったのは、この孤独な性格に起因していたとも言われる[57]サミュエル・ジョンソンは「ウォルポールは王から国民に与えられた首相だったが、ピットは国民から王に与えられた首相だった」と評したと言われている[58]

雄弁家だったといわれ、同時代の第2代ウォルドグレイヴ伯爵ジェイムズ・ウォルドグレイヴはピットについて「彼は独特の明晰で流麗な表現力をもっている。そして完成された雄弁家であり、庶民院をいつも興奮させたり、魅了したりしている。彼は冷静で猛烈に積極的に慎重に対処するという、あらゆる素質を備えている。彼は現代人民の指導者であり、代表選手である。しかし愛国者のマスクの下に暴君の専制的精神を秘めている」と評している[59]。しかし手紙を書くのは苦手だったとされ、「弁舌は当代随一、だが手紙を書かせたら当代最悪」との評価も残る[60]

文芸の知識は乏しかったが、デモステネスとボリングブルック子爵の著書だけは目を通したという[8]


  1. ^ Lundy, Darryl. “Robert Pitt” (英語). thepeerage.com. 2014年10月7日閲覧。
  2. ^ a b c 世界伝記大事典(1981)世界編8巻 p.146
  3. ^ 小松(1983) p.171
  4. ^ Brown(1978) p.15-16
  5. ^ a b c d e f g h i j k l Lundy, Darryl. “William Pitt, 1st Earl of Chatham” (英語). thepeerage.com. 2014年10月7日閲覧。
  6. ^ 小松(1983) p.171-172
  7. ^ 小松(1983) p.114
  8. ^ a b 小林(1999) p.61
  9. ^ a b c d e f 世界伝記大事典(1981)世界編8巻 p.147
  10. ^ 今井(1990) p.303
  11. ^ 今井(1990) p.304
  12. ^ 友清(2007) p.397
  13. ^ 今井(1990) p.307
  14. ^ 今井(1990) p.312
  15. ^ 今井(1990) p.312-313
  16. ^ 今井(1990) p.313
  17. ^ a b 今井(1990) p.314
  18. ^ 今井(1990) p.313-314
  19. ^ 今井(1990) p.314-315
  20. ^ a b c d e 今井(1990) p.315
  21. ^ a b c 小林(2007) p.322
  22. ^ 今井(1990) p.315/323
  23. ^ a b c 小林(2007) p.323
  24. ^ a b 今井(1990) p.318
  25. ^ 今井(1990) p.316
  26. ^ 小林(2007) p.326-328
  27. ^ 今井(1990) p.316-317
  28. ^ 小林(2007) p.324-325
  29. ^ a b c 今井(1990) p.317
  30. ^ 小林(2007) p.334-338
  31. ^ 小林(2007) p.324-326
  32. ^ トレヴェリアン(1975) 3巻 p.41-42
  33. ^ 小林(2007) p.342-343
  34. ^ 今井(1990) p.321
  35. ^ 小松(1983) p.153-155
  36. ^ 小松(1983) p.155
  37. ^ 今井(1990) p.321-322
  38. ^ 今井(1990) p.322/329
  39. ^ 小松(1983) p.155/158/164
  40. ^ 今井(1990) p.329-330
  41. ^ a b 今井(1990) p.331
  42. ^ a b c d 今井(1990) p.332
  43. ^ 小松(1983) p.168
  44. ^ 小松(1983) p.178
  45. ^ 今井(1990) p.332-333
  46. ^ a b c d 世界伝記大事典(1981)世界編8巻 p.148
  47. ^ 今井(1990) p.333-334
  48. ^ a b c 今井(1990) p.335
  49. ^ a b 今井(1990) p.339
  50. ^ 今井(1990) p.338-339
  51. ^ 今井(1990) p.348
  52. ^ 今井(1990) p.347
  53. ^ 今井(1990) p.348
  54. ^ 小林(2007) p.343
  55. ^ 小林(1999) p.64
  56. ^ 今井(1990) p.333
  57. ^ a b 小松(1983) p.173
  58. ^ Hugh Chisholm. "Chatham, Earl of" entry The Encyclopædia Britannica: A Dictionary of Arts, Sciences, Literature and General Information, 11th ed., (London: University press, 1910)
  59. ^ 小松(1983) p.172
  60. ^ 小林(1999) p.61-63
  61. ^ Heraldic Media Limited. “Chatham, Earl of (GB, 1766 - 1835)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年1月28日閲覧。





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