イーゾラ・デル・ジリオ 歴史

イーゾラ・デル・ジリオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/06 05:37 UTC 版)

歴史

コスタ・コンコルディアが座礁した事故

古代

ジリオ島には鉄器時代から居住者がおり、のちにエトルリア人たちが軍事的な要塞として利用した。

中世・近世

805年、カール大帝によってローマのトレ・フォンターネ英語版修道院に寄進された。その後、島はアルドブランデスキ家英語版カエターニ家英語版オルシーニ家といった有力貴族や、ペルージャ市の統治下におかれた。1241年、シチリア王国のフェデリーコ1世(神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世)はジェノヴァの艦隊を打ち破っている。1264年からはピサ市の領有となり、その後メディチ家の領地となった。島はたびたびイスラム教徒の侵攻を受けており、最後のものは1799年であった。

近代・現代

2012年1月13日、島の東岸ジリオ・ポルト(ジリオ港)の沖合で、豪華客船コスタ・コンコルディアが座礁・転覆する事故が発生した(コスタ・コンコルディアの座礁事故参照)。

社会

経済・産業

主要な産業は観光業である。島は自然に恵まれ、多様な動植物がみられる。海洋の生物相も豊かであり、スキューバダイビングのポイントとしても知られている。

原産地統制呼称(DOP)ワインである「アンソニカ・コスタ・デッラルジェンタリオ」 (it:Ansonica Costa dell'Argentarioの産地である。このワインは、このコムーネ(およびモンテ・アルジェンターリオ)で栽培される「ヴィーノ・アンソナコ」(Vino Ansonaco)から生産される。

人口

人口推移

交通

ジリオ港
  • ジリオ港(ジリオ・ポルト)

本土(モンテ・アルジェンターリオ)のサント・ステーファノ港 (it:Porto Santo Stefanoとの間に、ナヴィガツィイオーネ・マレジリオ社(compagnie di navigazione Maregiglio)とトレマール社 (Toremarフェリーを運航している。

2004年4月21日からは交通量の調節のため、島を車両で訪れる場合には交通大臣の発行した書類が必要である。

文化・観光・施設

分離集落Giglio Castelloは、「イタリアの最も美しい村」クラブの加盟メンバーである。

カンペーゼの塔 (it:Torre del Campeseなど、中世に海沿いに築かれたいくつかの塔がある。






「イーゾラ・デル・ジリオ」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「イーゾラ・デル・ジリオ」の関連用語

イーゾラ・デル・ジリオのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



イーゾラ・デル・ジリオのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのイーゾラ・デル・ジリオ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS