アブー・バクル 正統カリフまでの経緯

アブー・バクル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/24 06:33 UTC 版)

正統カリフまでの経緯

預言者であるムハンマドの親友で、ムハンマドの近親を除く最初の入信者であったとされる。ムハンマドによるイスラーム教の勢力拡大に貢献した。娘のアーイシャをムハンマドに嫁がせた[注釈 1]ため、ムハンマドの義父にもあたる[2](ただし年齢はムハンマドより3歳程度若い)。632年、ムハンマドが死去した後、選挙(信者の合意)によって初代正統カリフに選出された。選出に先立って最初期からの最有力の教友で同僚でもあったウマル・ブン・アル=ハッターブアブー・ウバイダ・アル=ジャッラーブのふたりが、アブー・バクルを預言者ムハンマドの後継者である代理人(カリフハリーファ)として強力に推して人々に支持を求めて働きかけたため、初代カリフとなった。

アブー・バクルはムハンマドの死後、イスラーム共同体全体の合議によってムスリムたちの中から預言者ムハンマドの代理人(ハリーファ)として共同体全体を統率する指導者(イマーム)、すなわち「カリフ(ハリーファ・アル=ラスールッラーフ)」として選出された。このようにして選ばれたのは、アブー・バクルを嚆矢としてその後に続くウマルウスマーンアリーの4人であった。アリー以降はイスラーム共同体内部の対立によってシリア総督となっていたムアーウィヤが共同体全体の合意を待たずに事実上実力でカリフ位を獲得し、イスラーム共同体最初の世襲王朝であるウマイヤ朝の始祖となった。そのため、アブー・バクル、ウマル、ウスマーン、アリーの4人を指して、スンナ派では伝統的に「正統カリフ」 الخلفاء الراشدون al-Khulafā' al-Rāshidūn (「正しく導かれた代理人たち」)と呼んでいる。(後述のように、シーア派ではほとんどの場合、アリー以外の預言者ムハンマドからのイスラーム共同体の教導権(イマーム権)・代理権(カリフ権)の継承を否定している。)


注釈

  1. ^ ブハーリーのハディース集成書『真正集』「婚姻の書」第39節第1項(アーイシャ自身からの伝)、同第40節(アーイシャおよび伝承者ヒシャームからの伝)、同第59節(伝承者ウルワからの伝)その他。なおハディース中には「9歳で婚姻を完成させた」と記されているが、注記によれば「性行為を行った」という意味とされる。ムハンマドの妻となった人物は最初のハディージャや、生涯キリスト教徒で男子イブラーヒームを産んだコプトのマリア、ムハンマド在世中に離婚したシャラーフ・ビント・ハリーファ・アル=カルビーなどを含めると14人程が知られている。アーイシャはハディージャから数えて彼女と同時に嫁いだ寡婦のサウダに続く3番目の妻である。アーイシャはムハンマドとの結婚時に処女であった唯一の妻で、ハディージャを含め他の妻たちは全て既婚経験者で寡婦であった。マディーナ時代にムハンマドはモスク(のちの預言者モスク)を建設して居所と定め、ここの一角にムスリムとなった妻たちの居室を人数ごとに9つ設けているが、最初に設けられた2つの妻の部屋はサウダとこのアーイシャのものであった。
  2. ^ これについて、スンナ派のハディース集である『真正集』(ブハーリー編纂)の「預言者の教友達の美点の書」の7章4節において、イブン=ウマルからの伝として「預言者の時代に最も優れた教友はアブー・バクル、次はウマル、次はウスマーンであり、その他については区別立てしない。」というものがあり、スンナ派のカリフ継承順は正当なものであったと主張している。同第4章1節、第5章の2の10節にも同様の記述がある

出典

  1. ^ a b "アブー・バクル". ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンクより2022年8月4日閲覧
  2. ^ a b c "アブー・バクル". 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンクより2022年8月4日閲覧
  3. ^ "アブー・バクル". 世界大百科事典 第2版. コトバンクより2022年8月4日閲覧
  4. ^ 塩尻和子 (2005年10月22日). “クルアーン解釈からみるジハード論”. 同志社大学. 2020年3月2日閲覧。


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