アブドゥルアズィーズ・イブン・サウード 家族

アブドゥルアズィーズ・イブン・サウード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 01:15 UTC 版)

家族

父母

  • 父:アブドゥルラフマーン・イブン・ファイサル・アル・サウード(第二次サウード王国最後の王。1928年死去)
  • 母:サラ・スデイリ(ダワシールの首長、アハマド・スデイリの娘)

兄弟

  • ファイサル(1870年 - 1890年)
  • ファハド(1875年 - ?)
  • ムハンマド(1880年 - 1903年)
  • サアド(? - 1916年)
  • アブドゥッラー(1900年 - ?)
  • アフマド(1917年 - ?)
  • アブドゥル・ムスフィン(1910年代 - ?)
  • ムサイード(1922年 - ?)
  • サアド(1920年代 - ?)

妻妾

当時のアラビア半島のイスラム社会では、女性は家系図などにも記載されないことが一般的であり、また、妻は原則としてハレムの奥に控えて公式の場に出ないため、妻に関しては記録が乏しい部分が多く、人数についても諸説ある。同様の理由により娘の人数と名前も記録が乏しい。

当時のアラビア半島のイスラム社会では、異教徒たる配偶者は妻ではなく妾として扱われたこと、奴隷制の下で女奴隷である女性が存在していたこと[6]、権利義務関係について条件付きの婚姻であるミシャー婚が存在していたこと、東部州ではシーア派独自のムトア婚英語版が認められていたこと、部族ごとに異なる部族習慣法に基づく婚姻とイスラム法に基づく婚姻とが混在していたことなどから、婚姻にかかる事実関係が複雑であった。また、歴史研究家によってはミシャー婚の相手を妾と呼ぶ場合もある。これらの事情から、どこまでの範囲の人物を妻と呼ぶことができるのかは必ずしも明確ではない。

一説には41人の妻がいるとされるが、そのうち8人は奴隷の身分で出自や本名が明確ではなく、妻のうち12人は後に離婚しているとされる。その一方で、4人の妻と4人の妾と4人の女奴隷がいたとする資料もある[7]。有力部族の部族長の娘に子どもを産ませるため、100回以上の結婚を余儀なくされたとも言われているため、百数十にも及ぶ主要部族全てに妻が居たとすれば百数十人の妻が居たことになる。

記録が明確なのは後の国王と王位継承者達を産んだ4人の妻であり、彼女たち4人を正妻と見る場合もある。

以下では記録が明確な妻を挙げる。

子息

子供は89人いるとされ、うち男子は52人、女子は37人とされる。そのうちの1903年に夭折したハーリドを除いた36人の男子が王位継承権を獲得していた[8]
太字 は、国王に就任した人物。

  1. トルキー(1900年 - 1919年)
  2. サウード(1902年 - 1969年) 第2代サウジアラビア国王
  3. ファイサル(1906年 - 1975年) 第3代サウジアラビア国王
  4. ムハンマド(1910年 - 1988年) 生前の一時期は皇太子の地位にあった。
  5. ハーリド(1913年 - 1982年) 第4代サウジアラビア国王
  6. ナーセル(1913年 - 1984年)
  7. サアド(1915年 - 1993年)
  8. マンスール(1918年 - 1951年)
  9. ファハド(1921年 - 2005年) 第5代サウジアラビア国王、スデイリー・セブン
  10. バンダル(1923年 - )
  11. ムサーイド(1923年 - 2013年) (第3代国王ファイサルを暗殺した)ファイサル・ビン・ムサーイドの父
  12. アブドゥッラー(1924年 - 2015年) 第6代サウジアラビア国王
  13. アブドゥルムフスィン(1925年 - 1985年)
  14. ミシュアル(1926年 - 2017年)
  15. スルターン(1928年 - 2011年) スデイリー・セブン、生前は皇太子の地位にあった。
  16. アブドゥッラフマーン(1931年 - 2017年) スデイリー・セブン
  17. ムトイブ(1931年 - )
  18. タラール(1931年 - ) 王位継承権を放棄
  19. ミシャーリー(1932年 - 2000年)
  20. バドル(1932年 - 2013年)
  21. ナウワーフ(1932年 - 2015年)
  22. トルキー(1932年 - 2016年) スデイリー・セブン
  23. ナーイフ(1934年 - 2012年) スデイリー・セブン、生前は皇太子の地位にあった。
  24. ファワーズ(1934年 - 2008年)
  25. サルマーン(1935年 - ) スデイリー・セブン、第7代サウジアラビア国王兼首相
  26. サーミル(1937年 - 1958年)
  27. マージド(1938年 - 2003年)
  28. アブドゥルイラーフ(1939年 - )
  29. マムドゥーフ(1940年 - )
  30. サッターム(1941年 - 2013年)
  31. ハズルール(1942年 - 2012年)
  32. アブドゥルマジード(1942年 - 2007年)
  33. マシュフール(1942年 - )
  34. アフマド(1942年 - ) スデイリー・セブン
  35. ムクリン(1945年 - ) 元皇太子兼副首相
  36. ハムード(1947年 - 1994年)

夭折した1人を除き第2世代の直系男子が36人おり、その子供の孫世代が多数いるため、ここでは主な人物についてのみ記載する。

  • サルマーン内閣の閣僚と元閣僚
    • ムハンマド・ビン・サルマーン(1985年 - ) サルマーンの子、皇太子 兼 首相 兼 経済開発評議会議長
    • マンスール・ビン・ムトイブ(1952年 - ) ムトイブの子、国務大臣、国王顧問
    • ムトイブ・ビン・アブドゥッラー(1952年 - ) アブドゥッラーの子、元国家警備大臣
    • アブドゥルアズィーズ・ビン・サルマーン(1960年 - ) サルマーンの子、国務大臣(エネルギー問題担当)
    • ムハンマド・ビン・ナーイフ(1959年 - ) ナーイフの子、元皇太子 兼 副首相 兼 内務大臣 兼 政治・安全保障評議会議長
    • サウード・アル=ファイサル(1940年 - 2015年) ファイサルの子、元国務大臣、元国王特別顧問兼特使、元外交担当特別顧問、元外務大臣
  • 知事
    • ハーリド・アル=ファイサル(1940年 - ) ファイサルの子、マッカ州知事
    • ファイサル・ビン・バンダル(1943年 - ) バンダルの子、リヤード州知事
    • サウード・ビン・ナーイフ(1956年 - ) ナーイフの子、東部州知事
    • ファイサル・ビン・サルマーン(1970年 - ) サルマーンの子、マディーナ州知事
  • その他

曾孫

曾孫についても孫の項目同様に特に有名な人物のみ記載する。

  • ハーリド(1978年 - ) アルワリードの子
  • アブドゥルアジーズ・ビン・サウード(1983 - )サウードの子、ナーイフの孫、内務大臣

  1. ^ a b c 「世界歴代王朝王名総覧」(1998年、東洋書林)参照
  2. ^ 正確な生年月日が不明のため年齢は推測であり、資料によっては21歳となっている物もある。
  3. ^ “米・サウジ「40年の密約」”. ニューズウィーク日本版(1992年2月20日号). TBSブリタニカ. (1992-2-20). p. 28. 
  4. ^ 大森実「ファイサル」講談社、1979年、P12
  5. ^ 大島(1981)p.19
  6. ^ サウジアラビアにおける奴隷制度は1962年まで存続していた。
  7. ^ サウジアラビア現代史
  8. ^ 「サウジアラビア王朝史」383頁参照。娘については、女性は系図に掲載されていないために同書にも記載がないため、省略した。


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