アドリアーナ・ヘルツキー アドリアーナ・ヘルツキーの概要

アドリアーナ・ヘルツキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/10 09:03 UTC 版)

アドリアーナ・ヘルツキー
生誕 (1953-06-30) 1953年6月30日
出身地  ルーマニア ブカレスト
学歴 シュトットガルト音楽大学
ジャンル 現代音楽
職業 作曲家
公式サイト 公式サイト

略歴

ブカレストに生まれたが、当時のルーマニアは完全に独裁政権であり、現代音楽の受容は無きに等しかった。ピアノを学習後、作曲に転科し、1972年からステファン・ニクレスクに師事した。その後、同年齢で現在オルデンブルク大学にて教鞭をとる作曲家ヴィオレタ・ディネスク英語版と同じく西ドイツへ渡り、シュトットガルト音楽大学にて同じ東欧生まれでオリヴィエ・メシアンの指導を受けた作曲の教授ミルコ・ケレメン電子音楽エアハルト・カルコシュカ、現代音楽理論のヘルムート・ラッヘンマンらの指導を受けた。先輩のマティアス・シュパーリンガーのように地味な成熟ではあったものの、徐々に実力を上げてゆく。

フロレンツ、コルマール、ブッキ、ガウデアムス、マックス・ドイチュ、メンヘングラードバハ、女性作曲家のみのGEDOK、そしてシュターミツ国際など次々と国際作曲コンクールを最上位で受賞し、国際的な名声を確立した。ガウデアムス国際は当時、規約が異なり順位を付けるシステムではなかったため、同着の「入賞」であった。29歳で外国人女性として2人目の国際シュトゥットガルト作曲賞を受賞する(現在とはシステムが違い分割授与)。

現在はダルムシュタット国際現代音楽研究所のインストラクターおよび友の会会員。ケルン音楽大学など各種作曲講習会に参加しておりく、国際マスタークラスの常連でもある。2000年代においてもダルムシュタット夏季現代音楽講習会の講師に招聘されている。以前はピアニストとしても活動し、2度国際コンクールで賞を受けた「トリオ・リパッティ」の一員でもあった。

家族・親族

双子の妹はシュトゥットガルト放送交響楽団ヴァイオリニストである。


  1. ^ d's edition 6 - mike svoboda'alphorn special
  2. ^ 「弦楽四重奏のための吊り橋」の冒頭部分, Breitkopf
  3. ^ Roses of Shadow”. www.aachener-zeitung.de. Aachener-Zeitung. 2020年5月19日閲覧。
  4. ^ 三宅榛名の「作曲家の生活」インタビュー当時の取材年月日に近い時期に招聘された。
  5. ^ Contemporary Anthology of Music by Women”. www.tandfonline.com. Indiana University Press. 2020年5月19日閲覧。
  6. ^ Adriana Hölszky”. www.stretta-music.com. Stretta-Music. 2020年5月21日閲覧。
  7. ^ Deutscher Musikautorenpreis 2022年8月18日閲覧。


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